人魚姫年アンデルセン |
フランケンシュタイン1818年メアリ・シェリー |
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先日、といっても何年か前、TVでやっていたシザーハンズという映画を見ていて、唐突にベリャーエフの両棲人間が、フランケンシュタイン物の一種であることに気がついた。
よく考えてみるまでもなく、気づいてみれば両棲人間のベースは「フランケンシュタイン」+「人魚姫」だろう。
人々から海の怪物と畏れられる世間知らずで純真な少年は、天才科学者が創り出した改造人間で、ある日海で溺れた少女を助けて恋をして、彼女を求めて陸に上がるも、彼を畏れ、あるいは利用しようとする人間社会とは相容れず、また陸に上がったことによって彼は陸での命を失うことになり、海の彼方へ去っていく。
イフチアンドルの立場は、フランケンシュタイン博士の創り出した怪物と同じであり、しかも人魚姫そのもの。
とはいえ主人公イフチアンドルは、その潜水服や水中眼鏡さえ脱ぎ捨てれば、ほとんど人間と変らぬ見目麗しい? 好青年だから、彼がフランケンシュタイン博士の怪物だとは、思いつきもしなかった。
だから、シザーハンズという、ホラー色のない、おかしくて、やがて悲しいファンタジックなフランケン映画を見て、顔色が悪くて異様な衣装に身を包み、手が刃物になっている主人公が怪物に見えなくなったとき、やっとそれに気づいた次第。
もちろん、ベリャーエフの両棲人間は、単純に「
第四間氷期1958年安部公房![]() ● Amazon |
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さて、「フランケンシュタイン」+「人魚姫」から、「両棲人間」と来たわけだけれど、先を続けよう。両棲人間ものに填まった方には、ぜひ読んでみて欲しい作品がある。
すぐさま手塚治虫の「海のトリトン」と言いたいところだけれど、それについては次ということにして、安部公房の「第四間氷期」というSF小説をご存じだろうか?
1958年に発表された作品だけれども、ありがたいことに今でも文庫版が手に入るし、これまたかなり面白い。文庫一冊にぎっしりと細かい文字が詰っているので、とっつきが悪く重く感じる人もいるだろうが、その分差し引いて食わず嫌いせず落ち着いて最初の一口さえ飲み込むことができれば、あれよあれよといううちに、最後まで読み通してしまうに違いない。
「両棲人間」の読者は、「第四間氷期」で、サルバトール博士の夢が実現する過程と、実現した世界に遭遇できるだろう。私なんか、海いっぱいのイフチアンドル、というイメージに、ポォっとしたものだ。
しかし「第四間氷期」は、そういう小説ではない。はっきりいって、先の私のような楽しみ方は邪道もいいとこだろう。それに「両棲人間」っぽいものを期待して手にしたら、読みはじめたとたんに、ものすごくげっそりくるに違いない。ここには冒険も恋もない。ホロリともしない。あるのは風の無い真夏にアスファルトの上を歩いた時に、べったりと首筋や背中に張りついた、ねっとりとした汗のように増していく不安ばかりだからだ。お目当ての水棲人のシーンをいくら読み返しても、水棲人への憧れや、海への想いに繋がることは、まずないだろう。
にもかかわらず、これはサルバトール博士の夢の実現である。外科手術という、天才科学者個人がチマチマと一人づつ改造してるんじゃ、いつまでたっても人類が海を手に入れるなんて無理じゃないか、という突っ込みと解答ともいえる。
「第四間氷期」のテーマは、「いかなる未来であろうとも、断絶した未来は現代人にとって残酷である」ということだそうだ。このテーマを書くための未来は、現代の日常からかけ離れていることが明確でありさえすれば、なんでもよかったはずであり、つまり未来人が水棲人であることは主題とは関係ない。
そして水棲人たちの暮らしは、不幸せなものではない。彼らには彼らの暮らしがあり、幸せがある。
よくある、自分の気に食わないものが実現してしまった未来を、暗く書いたような底の浅い小説ではない。
にもかかわらず、現代人から見れば、断絶した未来は残酷であることを、この小説は描き出している。
サルバトール博士の未来図が、同時代人にもたらすもの。博士の行為に対して、人々が感じる不安や恐怖は、科学に対する無知ではなく、これだったのかもしれないと、私に思わせてくれた。
ただし、もちろん、これまたこういう読み方をする小説では、絶対にない。はっきりいって切り口が変で妙な紹介で、しかもネタバレを含んでいる。この紹介は、その面白さを損なってしまった可能性があるので、謝っておく。申し訳ない。