(C)hosoe
◆両棲人間もくじ >  ◆小説もくじ

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第二十七章 司法上における、この事件の取り扱いについて

 ブエノスアイレスの検察官は、珍しい客の訪問を受けていた。地元にあるカテドラル(大聖堂)の司教、ファン・デ・ガルシラーソだ。
 検察官は腫れぼったい目をした太った活発な小男で、髪を短く刈り込み、口髭を染めていた。彼は椅子から立ち上がると司教に挨拶し、彼の大切なお客に、とても丁重に重厚な革張りの椅子を薦めた。
 司教と検察官は、なにもかも違っていた。
 検察官は、まるまるとしていて、赤い顔に、厚い唇、洋ナシのような鼻をしていた。指は太く短い切り株のようだし、丸いお腹の脂肪の上で今にもはじけ飛びそうなボタンが揺れている。
 司教の顔は頬がこけ、青白かった。乾いた鷲鼻、細く尖った顎、そして血色の悪い唇。典型的なイエズス会の修道士だ。
 司教は、彼の話し相手の目を決して見なかったが、にもかかわらず彼は相手をしっかりと見据えていた。司教の影響力は大きく、また宗教的な見地から複雑な政治問題に口を出すためなら、どこにでも喜んで駆けつけた。
 彼は部屋の主と挨拶を済ませると、さっそく訪問の目的を、静かに切り出した。
「私は」と、司教は静かに言った。「サルバトールの事件の状況を知りたいのです」
「あぁ、光栄です! あなた様に、この問題に興味を持っていただけるとは!」検察官は嬉しそうにそう叫んだ。「ええ、これは異例の訴訟ですとも!」彼は机から分厚いファイルを取り出すと、事件の書類に向かって続けた。「ペドロ・ズリタの訴えにより、サルバトールの住居を捜査しました。ズリタの陳述によりますと、サルバトールは動物に対して異常な手術を行いました。それが事実であることは、確認済みです。事実サルバトールの庭には、本物の怪動物がいました。まったく驚くべきものでしたよ! たとえばサルバトールは……」
「捜査の結果については、私も新聞で存じています」と、司教は静かにきっぱりと言った。「そしてあなたは、サルバトールをどうなさったのですか? 逮捕したのですか?」
「ええ、彼は逮捕されました。さらに私たちは、大切な物証かつ検察側の証人として、海の悪魔として知られているイフチアンドルという若者を、町へ移管しました。長い間私たちの手をわずらわせた噂の海の悪魔が、サルバトールの動物園の怪物だと、誰に想像できたでしょうか! 今は専門家である大学の教授たちが、これら全ての怪物を調べています。もちろん私たちは動物園全体・生きた物的証拠を市内に移管することは、できませんでした。しかしイフチアンドルは、裁判所の地下にいます。まったく彼については、苦労しましたよ。考えてもみてください。彼は水がなくては生きていられないので、彼のために大きな水槽を作らなければならなかったのです。なのに彼は、非常に調子が悪そうなのです。科学者たちは、確かにサルバトールは生き物を改造し、彼を両棲人間に変えたのだと言っています」
「私は、サルバトールの運命について、とても大きな興味を持っています」と、司教は再び静かに言った。「どの条項に基づいて、彼は責任を取らされるのでしょうか? あなたはどう考えているのですか? 彼は有罪判決を受けるでしょうか?」
「サルバトール関連の問題は、司法上例のない事件です」と、検察官は答えた。「どの条項でこの犯罪を裁けばいいのか、はっきりしいないことを認めます。はっきりしているのは、違法な生体実験によってイフチアンドルを改造した件です。この件でサルバトールを告発することができるでしょう……」
 司教は眉をひそめ始めた。
「あなたは、サルバトールの行ったことすべてに、犯罪性がないと言うのですか?」
「あるでしょうね。たぶん」と、検察官は続けた。「バルタザールから、もう一件別の訴えがありました。彼はイフチアンドルが、自分の息子だと主張しております。証明する事は難しいでしょうが。ただ、もし教授たちが、イフチアンドルが彼の息子だと認定すれば、たぶん、バルタザールを検察の証人として、訴えを立件できるでしょう」
「それはつまり、せいぜいサルバトールは、医学の倫理を踏みにじった件で審査され、親の許可なく子どもを連れ去り手術した件で裁かれるということですか?」
「ええ、それにたぶん、イフチアンドルに対する傷害の件で。しかし別の要素が事件を複雑にしています。教授たちは、……これはまだ、結論として出されたわけではないのですが、動物を手術で造り替えてしまうということそのものが、まともな人間の考えを逸脱した異常性を示しており、よってサルバトールは精神異常者ではないかと言っています」
 司教は座ったまま薄い唇をかみしめ、テーブルの隅を見て黙り込んだ。それから彼は、とても静かにこう言った。
「あなたからそのような話を聞く事になるとは、思いもよりませんでした」
「何がいけなかったのでしょう?」と、検察官は当惑した。
「正義を守る立場にあるあなたでさえ、サルバトールの改造手術という行いを正当化し、彼の手術に問題がないと判断していなさる」
「それが何か問題でも?」
「いかなる罪状を定めるのかが難しいならば、教会の法廷、すなわり天の裁きによるサルバトールの行為に関する異なる見解について、私はあなたを手助けするために、教えて差し上げることができます」
「お願いいたします」と、検察官はかしこまった。
 静かな司教は、説教師として、しだいに声を高めていった。
「あなたはサルバトールの行いを、さして悪いと思っていないのではありませんか? あなたは動物が姿を変え、そして人も少々改良されたとさえ、思っているのではありませんか? ならばつまり、神によって作られた人間が、不完全だとでも言うのですか? サルバトールは、人を完全にする必要があるとでも言いたいのでしょうか?」
 検察官は目を伏せ、微動だにせず座っていた。
 教会の代表者の前にあっては、自分自身が被告であると、そう思った。彼はそうなるとは、予想していなかった。
「たぶん、あなたはお忘れになっているのです。聖書の創世記にこう書かれています。第一章二十六節、神は言われた。『我にかたどり、我に似せて、人を造ろう』。そしてさらに二十七節には、『神は御自身にかたどって人を創造された』と書かれています。しかしサルバトールは、この神の似姿を損なったのです。そしてあなたも大差ありません。あなたも同罪です! あなたはそれが、良いと思っているのですから!」
「お許しください、司教様……」検察官が口にできたのは、ただそれだけだった。
 司教はさらに、力強くに語り続ける。
「主が創造されたものが、完全ではないとでもいうのでしょうか? あなたは人の法についてはよく知っていますが、神の法についてはお忘れです。しかしながらあなたは、創世記第一章三十一節の最初の言葉を思い出さなければなりません。『神はお造りになられたすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めてよかった。』けれどあなたのサルバトールは、何かを修正し、作り直し、変える必要があり、人々は水陸両用の生き物であるべきだと信じています。そしてあなたはそれがよく出来ていて都合がいいと考えたのです。これは神への批判ではありませんか? 冒涜ではありませんか? 冒涜でなくて何なのですか? あるいは我が国の法は、もはや宗教的犯罪を罰しないというのですか? そのようなことが繰り返し続くなら、どうなるでしょう?『神が創った人間は出来が悪いから、サルバトールに改造してもらおうか?』ということに、なってしまいます。これは、宗教をないがしろにすることではありませんか?……。神は、神が創造したものは、すべて良いものであると、認めました。しかしサルバトールは、まるで造物主をあざ笑うかのように、動物の頭を、その皮を取替え、神をも恐れぬ怪物を作ったのです。そしてあなたは、サルバトールの行為に罪の要素を見つけるのが困難だと、そうおっしゃる!」
 司教が言葉を止め、自分の演説が検察官に与えた影響に満足している。そしてしばらく沈黙した後、静かな声から、次第に声を強めつつ、再び話し始めた。
「私は、サルバトールの運命に大きな興味を持つと言いました。しかし私が、イフチアンドルの運命についても、無関心でいられるでしょうか? そもそも、イフチアンドルというのはキリスト教の名前はありません。ギリシャ語で、魚(イフチ)人(アンドル)という意味しかないのです。イフチアンドル自身にその罪がなく、ただその罪の犠牲者であるとしても、にもかかわらず彼の存在そのものが、神を冒涜しているのです。ただ存在するだけで人々の心を惑わせ、心弱くうつろいやすい者たちを悪しき道に誘惑するのです。イフチアンドルの存在を許してはなりません! 彼にとっても、神の御許に召されることこそが、最良なのです。もしこの不幸な青年は、その生体改造の欠陥において命を落とし、神に召されることが最善なのです」司教は検察官に目配せした。「どうあっても、彼は告発され、自由を奪われなければなりません。実際に、彼は犯罪を犯しています。漁師の魚を盗み、網を切り裂き、そして漁師たちを怖がらせました。あなたは思い出すでしょう。漁師が漁を放り出し、町から魚が消えた日のことを。サルバトールは無神論者であり、イフチアンドルは彼が作り出した忌むべき存在です。教会への、神への、天への、恐るべき挑戦なのです! そして教会は彼らが滅ぶまで、その追求の手を緩めることはありません」
 司教がこの糾弾演説を続けている間、検察官はこの恐ろしい言葉の奔流を遮ろうとはせず、その前に座ったまま、厳粛に頭を垂れてかしこまっていた。
 そしてついに司教が話し終えると、検察官は立ち上がり司教に近づき、震える声でこう言った。
「私はクリスチャンとして、懺悔いたします。どうか見捨てないでください。そして私はあなたに、あなたが私に助言してくださったことについて、感謝しております。今の私には、サルバトールの罪がはっきりとわかります。彼は告発され、罰せられるでしょう。そしてイフチアンドルもまた、正義の剣を逃れることはないでしょう」

◆次へ