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 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2005.1.15 最終更新日

29 被告は語る

 サルバトール博士は静かに立ち上がり、そして誰かを探すかのように、法廷を見回した。傍聴人の中に、バルタザール、クリスト、ズリタがいる。司教も最前列に座っている。司教に目を止めた一瞬、彼は微笑み、そしてさらに注意深く、傍聴人たちを見回した。
「私の被害者の姿が、このホールにはありませんな」
「俺が被害者だ!」
 突然大声を出したバルタザールを、クリストが袖を引っ張って、座らせる。
「あなたは、いかなる被害のことを話しているのですか?」と、裁判長は尋ねた。「もし、あなたによって改造された生物についてであれば、当法廷はそれらを示す必要がないと判断しました。ただし両棲人間のイフチアンドルについては、当裁判所屋内におります」
「紳士のみなさんの中に、神はおりませんな」
 静かに、そして真面目な顔で、博士が答えると、裁判長は当惑のあまり、のけぞった。
(本当に、これが彼の本心だろうか? それとも刑を免れようと、おかしな振りをしているのだろうか?)
「それがあなたの言いたいことですか?」と、裁判長は尋ねた。
「法廷では、はっきりさせておくべきことです。この告訴における被害者は、明らかに、神ただ一人なのです。裁判所内で権威ある方のご意見によると、私は神の領域を侵している。神は満足行く創造をしたのに、突然どこからか医者がやってきてこう言ったのです。『こりゃあよくない、改良しなきゃならん』。そして医者は医者の方法で、神が創造したものを造り替え……」
「それは冒涜です! 私は議事録に、この被告の言葉を記録する必要があると主張します」
 彼自身の信仰心が侮辱されたかのように、検事は口を挟んだ。
 博士は、肩をすくめた。
「私はただ、起訴の根本的理由を要約したにすぎません。ことによると告訴の理由は、ただそれだけではありませんか?
 私は告訴状を読みました。最初私は、生体を解剖をし、傷つけた件で告発されていました。ところが今の私には、もう一つ神聖冒涜が加えられているのです。いったいいかなる風向きでこうなったのでしょう? 風は、カテドラルの方から吹いたのではありませんかな?」そしてサルバトール博士は、司教を見据えた。「あなたの訴えによると、あなたの隣には、目に見えぬ神が被害者として座り、そして被告席には私と共にチャールズ・ダーウィンが並んでいることになるようです。さらに、私の言葉がこのホールに座る者の若干名を傷つけるだろうことを承知の上で続けましょう。
 動物、そして人間の肉体は完璧ではなく、手を加えなければならないと、私は断言します。それについては、この場を取り仕切っているカテドラルのジャン・デ・ガルシラーソ司教も、認めるところであるのです」
 この言葉は、ホール全体を驚愕させた。
「1915年、私が海岸通りから引き払う以前……」と、サルバトールは続けた。「私は尊敬する司教の体を、少しばかり手直しする必要がありました。つまり、盲腸を切り取ったのです。盲腸はまったく不要で、なおかつ有害な付属物です。この高尚なる私の患者が、手術台の上に横たわった時のことを、忘れてはおりません。彼は、神にも等しい盲腸を切り取ることに反対しませんでした。そうでしたな?」と、博士は彼をじっと見ていた司教に質問した。
 ファン・デ・ガルシラーソは、座ったまま身動きしなかった。ただ、その青白い顔の頬だけが赤く染まり、そして細い指が震えていた。
「また、このようなこともありました。私が開業医であったころ行った手術で、若返りとでもいいましょうか? ただ、シュタイン教授の見解とは異なり、それはまだ不可能です。そこで私の提案により、見かけ上の若返りとして増毛を行いました。かの尊敬すべき検事、サー・オーギュスト・デ……」
 検事はその言葉に反論しようとしたが、彼の声は人々の笑い声にかき消されてしまうと、「話をそらさないように願います」と、裁判長が厳格に命じた。
「その言葉は、当裁判自体の取るべき態度にこそ相応しいでしょう」と、サルバトールは答えた。「この問いは、私ではなく、法廷によって提起されたものです。思うに、ここにいる人々はみな、エラであった器官が聴覚を司る器官になったその時から、昨日は猿であった魚であったという話に、耳を塞ぎたいようですな? まあ正確には、猿や魚の子孫ではないのですが」
 サルバトールは、見るからに苛ついている検事に向かって言った。
「落ち着きたまえ! 私はここで、進化論について講義するつもりはないのだ」
 そしてサルバトールは、少し間を空けて話した。
「人間が動物から進化したという事実は、不幸なことではありません。ただ、未だに動物並という所から抜け出せないでいるのは……、悪い意味で原始的で、まったく理屈に合わないことです。
 シュタイン教授は、胚の発生について話し、無駄にあなた方を怖がらせることはありませんでした。外科医にとって、ナイフが唯一の道具です。私は外科医として、人々を救うために、しばしば皮膚や器官や腺を移植しなければなりませんでした。この技術を改良するために、動物の皮膚を移植し研究したのです。
 私は私の研究所で、長期にわたって動物実験をし、移植した器官がどうなるかを観察し、正しい方法を研究しました。そして観察を終えた動物は、庭に住まわせました。こうして私の庭、動物園が出来上がったのです。
 特に私は、かけ離れた異種間の移植に興味を持ちました。たとえば魚から哺乳類に、あるいはその逆も同じように。そして私はその分野において、一般の科学者がそもそも不可能であると考えているものを、可能にしたのです。しかしながら、それはそれほど、特異なことでしょうか? 今日は私にしか出来ぬ事も、明日には外科医の常識となっていることでしょう。
 シュタイン教授も、ドイツの外科医ザウアーブルーヒ博士を、ご存知のことと思います。彼は病んだ腿に脛を移植することに成功しました」
「しかしイフチアンドルは?」と、シュタイン教授がたずねた。
「そう、イフチアンドルは、私の誇りです。イフチアンドルの手術は困難でした。私は生物としての人間の仕組みを、全て作り変えなければならなかったのです。彼の生命が危険に脅かさされず目的を達成できるよう、私は子どもを手術する前に予備実験を行い、そこで六匹の猿が死にました」
「いかなる手術ですか?」と、裁判長がたずねた。
「私は若いサメのエラを子どもに移植し、子どもが地上でも、水中でも、生きられるようにしたのです」
 人々は驚きと感嘆を漏らし、傍聴席にいた新聞記者たちが、このニュースを編集部に伝えるために、大急ぎで電話をしに行った。
「その後、私はさらなる成功を得ました。あなたが見た両棲猿は、私の後の成果です。猿は地上であっても水中であっても、どれほどの期間であろうと健康を害されることなく生きることができるのです。
 しかしイフチアンドルは、水無しでは三〜四日しか生きられません。水無くして長期間地上に滞在することは、彼に害をなすのです。肺が酷使され、エラが乾燥し、イフチアンドルはわき腹に激しい痛みを感じ始めるのです。
 不幸にも私がいない間に、私が言いつけておいたイフチアンドルの生活は、乱れてしまいました。あまりにも長い期間空気中にいたために、その肺の機能は破綻し、本格的に痛んでしまったのです。身体のバランスは乱れ、彼は大半を水中ですごさなければならなくなりました。彼は両棲人間から、魚人間になってしまったのです……」
「被告に質問します」検事は裁判長の許可を得て、先を続けた。「なぜ、何を目的として、両棲人間を作ろうと考えたのですか?」
「人間は完璧ではないからです。人間は、祖先の動物から進化するにあたって大きな利点を得ました。しかし、同時に最も原始的な段階には持っていた特性の多くを失ったのです。水中生活は、人類に巨大な恩恵を与えるでしょう。なぜ、その可能性を人間が取り返してはならないのでしょうか?
 我々は、地球上の動物および鳥類が、すべて海から起こり、海を去ったことを、そして我々は、僅かの動物が地上から再び水中に戻ったことを知っています。
 イルカの先祖は魚です。魚が海を出て哺乳類となり、そして再び海に戻ったのです。中国には、地上に残るイルカもいるそうですが、その中国種もイルカも肺によって呼吸しています。イルカを両棲動物に作りなおすこともできます。
 イフチアンドルは私に、友人のイルカであるリーディングが、彼と一緒に長時間海底に潜っていられるように、そうして欲しいと言いました。それで私は、イルカにこの手術をする計画を立てていました。人間の中の最初の魚、魚の中の最初の人であるイフチアンドルは、孤独を感じずにはいられなかったからです。
 しかし、もし他の人々が海へと彼に次いだならば、その生活は完全に違ってくるでしょう。その時人々は、容易にその強力な『水』という環境を、征服するでしょう。
 その環境が、いかなる潜在力を持つかご存知でしょうか?
 いいですか? まず海は面積にして三億六千百万五千平方キロメートルあり、地球の十分の七以上が、手つかずの水域となっているのです
 無尽蔵の食料と資源を蓄えているこの水域には、何百何億もの人々が暮らすことができるでしょう。しかしそれは、三億六千百万五千平方キロメートルの海表面の話に過ぎません。人々は、水中のあらゆる階層を利用し、何十億という人々が海の中を賑やかに行きかうことができるのです。
 そしてエネルギー!
 海が七百九十億馬力もの太陽熱エネルギーを吸収していることをご存知でしょうか? もしその熱が空中やその他に放射されていないなら、海はとっくに沸騰していることでしょう。エネルギーはほぼ無尽蔵にあります。しかし地上の人類は、ほとんどまるで利用していないのです。
 そして海流のエネルギー! メキシコ湾流のフロリダ海流だけでも、毎時九百十億トンの水が流れているのです。それは大きな川の三千倍よりも多く、そしてこれが唯一の海流というわけではないのです! それを地上の人類は、どう利用しているでしょうか? ほとんどまるで利用していないのです。
 そして波と干潮のエネルギー! 波は一平方メートルあたり、三万八千キログラム、つまり三十八トンを動かします。高さは四十三メートルに達し、そしてたとえば百万キログラムの岩の破片を十六メートル以上、四階建ての家の高さほどまで持ち上げるのです。それを人類は利用しているでしょうか? ほとんど、まるで利用していないのです。
 陸上の生き物は、地表からそう高く立ち上がることができず、地下深くにも潜ることはできません。しかし海では、赤道から極までの殆どの場所において、水面から十キロの深さがあります……。しかし我々は、海の無限の富をいかにして利用しているでしょうか?
 我々は魚を取っている。と、おっしゃる方もいるでしょう。我々は、海のごく表面で魚を採り、そしてただ海綿、サンゴ、真珠、海草を集めているだけなのです。深海についてはほぼまったく手つかずとなっているのです。
 我々にも、水中のでの仕事があります。橋の堰の土台の建設、沈没船の引き上げ。しかし! こうした仕事は重労働であり、危険が大きく、しばしば人の犠牲を伴うのです。水底に二分もいれば死んでしまう不幸な人間! 我らに何ができるというのでしょう?
 考えてみなさい。人間が潜水服と酸素ボンベ無しで水中で働くことができるなら、それはいかなる富をもたらすかを!
 これは、イフチアンドルが考えた事です……。
 しかし、私は欲深い悪魔のような人間を、恐れました。
 イフチアンドルは私に、海底から希少金属と鉱石の試料を持ってきてくれました。試料はごく少量でしたが、海中の鉱床は巨大でありえるのです。そして沈没した財宝は? あなたは少なくとも1916年に、アイルランド沿岸で、ドイツの潜水艦によって沈められた外洋汽船ルシタニア号のことを、覚えているでしょう。殺された千五百人の乗客の貴重品の他に、ルシタニア号は一億五千万ドル分の金貨と、五千万ドル分の金の延べ棒を運んでいたのです。
(傍聴席が感嘆で満たされた。)
 さらに、ルシタニア号はアムステルダムに運ぶダイヤモンドの箱が二つあったのです。運んでいる品には、世界で最上級の輝きを持つ『カリフ』も含まれていました。誰が、この何百万をそのままにしておけるというのでしょう。
 確かにイフチアンドルでさえ、この深度に潜水することはできません。そのためには高圧に耐える深海魚に似た人間を作る必要があるでしょう。
(検事が憤慨して鼻を鳴らした。)
 私はそれが、絶対に不可能とは思っておりません。すぐには無理だということです」
「あなたは、あなた自身に、全能の神の能力があると思うのですか?」と、検事は指摘した。
 サルバトールは、この発言を無視して続けた。
「もし人が水中で生きることができたならば、人類はその時深みに向かい大きく進歩し、人の犠牲を要求する海の本質は、我々にとって恐ろしいものではなくなるのです。我々は、溺れ死んだ者たちを嘆き悲しむことは、なくなるのです」
 ホールにいる人々の心の中に、人類が海を支配し水中の平和を手に入れた様子が、鮮やかに描き出された。
 支配し豊かになることが約束された海!
 公正でなければならない裁判長でさえ黙っていられなくなり、こう尋ねた。
「では……では、なぜあなたは、これまであなたの研究の成果を発表しなかったのですか?」
「私は、急いで被告席に座りたくは、なかったからですよ」サルバトールは、微笑みながらそう答えた。「それに私は、私の研究は、この現状では、利益よりも害をもたらすと、恐れたのです。
 すでにイフチアンドルをめぐって、争いが起きています。誰が私を訴えたのか? 私からイフチアンドルを手に入れられなかった、ここにいるズリタの報復です。しかし、ズリタが首尾よくイフチアンドルを手に入れたとしても、軍艦を沈めさせるために、将軍と提督が取り上げるでしょう。
 私には、これ以上イフチアンドルを作ることができなかった。他のイフチアンドルたちを。国中が欲にまみれ、素晴らしい発明を悪しきことに使おうと争っている間は、人々の苦しみを増すだけで、人々のためになりはしない。そう、私は考えたのです……」サルバトールは黙り込み、そして突然調子を変えて続けた。「これで話をやめましょう。さもなければ私は彼に、本当におかしくなったと、思われてしまいますからね」と、サルバトールは微笑みながらシュタイン教授を見た。「いいや、私は『天才的な』という枕詞加わろうとも、狂人として扱われ尊厳を失いたくはありませんな。私は精神異常者ではないし、狂気に犯されているわけでもない。私は私の信じることを行い、あなた方はその全てを目の当たりにした。
 もしあなたが、私の行いに犯罪性を見出すなら、あなたは法律に則って厳格に判断なさるといい。私は寛大な処分など望んでいないのです」

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