神隠し

 

「面倒ごとを押しつけたいだけじゃないの?」
「怪しい上に、儲かる事件を紹介してやろうって話だ。手数料が欲しいぐらいだぜ?」

 風間刑事。
 帝都を守る、警察の一員だ。
 鳴海とは顔見知りだが、親しいわけではない。
 むしろどちらかというと、風間は鳴海が気にくわない。
 風間は、人を見たらドロボウと思えが信条だ。
 それを体現する目つきと行動が地になっていて、全く無実の者でさえ彼の前ではビクついてしまう。
 小悪を働いているとなれば、完全にビビッて挙動不審になるから、とりあえず捕まえて、ホコリが出ないか叩いてみる。
 この勝率が、結構高い。
 だが大物は、風間の前でも、のうのうと態度を崩さない。
 つまり、のうのうとしているヤツこそ、本命だ。
 たとえば鳴海。
 そもそも警察と探偵は、相性が悪い。
 流行の探偵小説の中でだって、警察が苦労している所に首を突っ込んできて、警察の無能をあざ笑うかのように、犯人逮捕の手柄をかっさらっていく。
 なのに小説の中では、警察までもが探偵先生様々だ。
 だから鳴海は、探偵小説も、本物の探偵も気にくわなかった。
 といっても、風間が知っている探偵は、鳴海だけだ。
 他に、探偵っぽい仕事をしているヤツなら、ごまんといる。
 たとえば、警察に情報をタレ込んで金を得る、タレ込み屋。
 探偵という看板こそ掲げないが、やっていることはかわらない。
 ようは盗み聞きぐらいなら可愛い方で、不法侵入や脅しや暴力、その上でっち上げまで平気でする。
 ついでに機会さえあれば手のひらを返す。
 警察の情報を握らせてやり、小遣い稼ぎをしている警官もいる。
 犯罪の確信に迫るスパイ活動のための餌として情報を持たせるなんてこともあるが、そもそもコウモリのように、金と保身を秤に掛けて、あっちについたりこっちについたり。
 まったくもって鼻持ちならない。
 その上腹立たしいことに、鳴海はその手のことを、やってない。
 さらに信用調査だの人探しの類もしていない。
 鳴海は「怪しいの専門」の探偵だと言い張って、普通の仕事は引き受けない。
 それで食えるか? 書生まで養えるか?
 世の中、こんな怪しい話がどこにある?
 絶対裏があるに違いない。
 というわけで、風間は鳴海に怪しい事件をひっさげ、接触した。
 尻尾を出すのを待つために。

      ***

 事件のあらましは、簡単だ。
 人が唐突に姿を消す。
 で、捜索願が出されたころに、ひょっこり出てくる。
 消えてから現れるまで、二日か三日。
 共通点は、いずれも二十代半ばの若い男で、ざっと見たところ美丈夫が多い。
 あとは、金持ちのボンボンから下町の労働者まで、手当たり次第。
 男たちは、その間のことを、覚えていない。
 行方不明中、飲まず食わずだったわけでもなさそうだ。
 財布もその中身も手をつけられてない。
 それどころか、場合によっては増えている。
 そもそも、家人こそ事件に巻き込まれたかと狼狽え大騒ぎして警察に飛び込んでくるが、この手の類は、おおむね駆け落ちや家出と相場が決まっている。
 しかも捜索願が出されてすぐ、戻ってきたと届けが取り消される。
 それだけならともかく、何度もそれを繰り返す者がいる。
 いなくなって捜索願。戻ってきて取り消され、かと思ったらひと月もしたころにまた失踪。でまたふらりと戻って来る。
 こりゃあ病気かとばかりに家人や腕自慢が見張っていようと、座敷牢ばりに閉じ込めようと、煙のようにいなくなる。そしてまたふと現れる。
 毎度毎度、その間のことは覚えていない。
 記憶喪失という状況から、風間は妙な密造酒や薬がらみの事件の可能性も疑ってはみたが、そっちも手がかり一つ、つかめない。
 警察としては、いい加減にしろと言いたくなってくる。いや言った。
 が、中にきつくは言えないお偉いさんの子息がいた。
 そこらあたりも風間刑事は、気にくわない。
 しかも、戻ってきたというので事情聴取に出かけた(なぜこちらから出向かなければならねーんだよッ!)ら、何も覚えてないと繰り返すばかりの男から、ほのかに白粉と鬢付油の臭い。
 なんのことはない。姿を消していた間、艶っぽい女と一緒にいたってわけだ。
 それを指摘すれば、あれほど厳重な警戒をくぐり抜け誘拐されたのだからこれは事件だと言い張る父親に、やいのやいの責め立てられる。
 母親の方は、思い当たることでもあったのか、すぐさま納得したものの、その女を誘拐犯として逮捕しろ、息子を護れと、これまたうるさい。
 と、そこで名案を思いついた。
 あの「怪しいの専門」の鳴海に押しつけてしまえ。
 というわけで、こんな時だけ風間刑事は「帝都で随一の怪奇事件専門家」と鳴海に太鼓判を押して、たらい回しにしたのである。

         ***

 こうしてとある金満家の館に、探偵鳴海とその助手ライドウは、やってきた。
 しゃれた洋館。豪華な装飾。ふんぞり返った館の主人と、ツンとすましたその妻は、まだ完全には鳴海を信用してないようだ。
「信用できるのかね?」
 鳴海とライドウの目の前で金満氏は、お手並み拝見とばかりについてきた風間刑事に、不信をあらわにする。
「何しろ『怪しいの専門の探偵』ですからねぇ。怪しくなかったら、おかしいでしょう」
 売り込む時にこそ、鳴海を持ち上げた風間刑事だが、鳴海の前で鳴海を持ち上げるなんてことは、したくなかった。
 風間としては、これで金満氏が「探偵なんぞ信用ならん、やっぱり警察がどうにかしろ」と言い出したなら、それはそれでかまわない。
 金満氏の妻は、自分なりの結論を出しているようだ。
「どこぞの女が息子をたぶらかしているに、決まってますよ。そして赤子でも作り、この家に入り込むつもりなんです。誰が許すものですか」

 一方鳴海は、このちょっとした侮辱になど、まるで気づかぬかのように、すまし顔で話を進める。
「じゃあまず、定期的に神隠しに遭うご本人に、話を聞かせてもらいましょうか」
「今連れてきますが、話などありませんよ。何も覚えちゃいないんですから」
 使用人が押してきた車椅子に座る青年は、確かに顔立ちは整っていたが、風間の言っていた美丈夫とはほど遠い。
 むしろ色白で病弱系。線の細さばかりが目に付いた。
「もしかして、この事件に巻き込まれてから、やつれちゃったとか?」
 気楽そうな鳴海に向かって、金満氏は苦々しげに「そうだ」と認める。
「医者には診せた?」
「診せたとも。藪医者め。どこも悪くはないから滋養のあるものを食べさせろとさ。匙を投げられたも同然だ。それに坊主に占い師に祈祷師に。どいつもこいつも役にたちやせんかった」
「サマナーは、呼びましたか?」
「サマナー? なんだそりゃ」
「呼んでないんなら、いいんです。確かにこりゃマズイねえ。医者には治せない病みたいだなあ。話せるかい?」
 線の細い青年は、無表情に声を出す。
「ああ」
 生返事というやつだ。
「何も覚えてない」
「ああ」
「覚えているかぎり、変ったことはなかったかい?」
「ああ」
「妙な夢なんかも見なかった?」
「ああ」
「じゃ、彼を見張ってた人も呼んでください。その後で館の内外も、少々見せてもらいましょうか」
 何の意味もない事情聴取や見聞が続いている間に、事前の打ち合わせ通りライドウは仲魔を放ち、館内を調べさせていた。
 やがてライドウは、調査終了の合図を鳴海に送る。
「大体わかりました」
 自信たっぷりの鳴海に、金満氏も風間刑事も、少々驚いたようだった。
「何がわかったんだ?」
 金満氏の疑問に、これまた堂々と鳴海は口から出任せを言う。
「それは言えません。壁に耳あり障子に目あり、ですからね。もっともここには、障子はありませんが、そういうものです。今日は助手と猫を置いていきますから、安心して他の見張りは下がらせてください」
「書生と猫までか?」
「優秀な助手と、魔除けの猫ってわけですよ。そうそう、これも忘れちゃいけない」
 鳴海は線の細い青年の額に、小さなシールをぺたんと張る。
「なんです? こりゃ」
「御札みたいなもんですよ。じゃ、オレは別の心当たりを調査しときますんで、いったん失礼しましょうか」
 鳴海は自信ありげに笑ってみせた。
 館を出ると、風間刑事は眉間に皺をよせつつ、鳴海につめよる。
「何が魔除けの猫だ。何が御札だ。タダの猫と雑誌の付録のシールだろが」
「違いますよ。ゴウトはただの猫なんかじゃありませんし、シールは付録じゃなくて、帝都新報のタヱちゃんが、自分で作って名刺がわりにバラまいてるヤツです」
「たいして変らん。御利益とやらがなかったら、詐欺罪でしょっぴいてやる」
「ひどいなあ。だったら医者に坊主に占い師に祈祷師も同罪ですか? だいたい成功報酬だから、まだ一銭だって貰ってないのに」
 鳴海は風間刑事に向かって、大げさに肩をすくめた。

 結局金満氏は、怪しいの専門の探偵鳴海を信用しきれず、厳重な見張りをそのままに、かといってライドウとゴウトを無下にもできず、息子との同室を許すことにした。
 その見張りたちは、ネズミ一匹猫一匹出入りを見逃さなかったと主張している。
 だが部屋に金満氏の息子を残したまま、ライドウとゴウトの姿は、跡形もなく消えていたのだ。
「予定通りですよ。ライドウが身代わりとなって、真相の調査に向かいました」
 その報告を受け、狼狽えることもなく笑って見せる鳴海に、金満氏は初めて鳴海探偵事務所の実力を、認めたのであった。

 実はもう一人、金満氏の館から姿を消した者がいる。
 だが、金を握らされてその潜入を見逃した見張りたちは面倒事を恐れてか、彼については知らぬふりを決め込んだ。

        ***

 異界。
 ほんの少し位相のずれた、普段認識できない悪魔たちの世界。
 ライドウとゴウトは、そんな異界にいた。

 その夜ライドウが金満氏の息子の部屋で待機した。
 人の目が無くなった頃合いを見て仲魔に命じ、息子の姿に擬態する。
 深夜、やがて漂う白粉と鬢付油の微かな香り。共に忍び寄る魔の気配。
(あら? いい男が二人に増えておりますえ?)
(両方つれてっちゃえばいいんじゃない。)
(何言ってヤガル。こっちは干からびてる上に、デコから女とインクの匂いがしやがるが、こっちはピンピンしてるじゃねーか。生きのいい方がいいにきまってヤガル。)
 悪魔たちなど見えぬふり、聞こえぬふりで、眠ったフリをしていれば、やがて身体が無限に沈み込み、あるいは浮き上がるような、異界に引かれる異様な感覚。
 ライドウはそのまま悪魔たちに身を任せ、異界に到達したとたん目を見開きまとわりつく悪魔の気配をふりはらうと、擬態を解いて自由を取り戻したのだった。

 外套の下に潜り込んでいたゴウトも、さっそく飛び出しあたりを見回す。
『なるほど、深川町の遊郭界隈ということか』
 こちらの世界でも独特の別世界を作る遊郭だが、異界ともなるとまさに異色の別世界。
 賑やかに照らすは人魂か狐火か。
 その灯にそぞろ歩くは人の姿を模した悪魔たち。
 呼び止める女たちもまた、ケモノの耳が飛び出ていたり、尻尾があったり。
 人型ならば、まだ男か女か区別もつくが、まったくの異形の者が、男にも女にもまじっている。
『こやつらは、人マネをして遊んでおるのだ』
 ゴウトのつぶやきに、ライドウは了承の意を示しながら、あたりへの警戒を怠らない。
『ライドウ。あれは風間とかいう刑事じゃないか?』
 見やれば確かに往来で数体の女悪魔たちに囲まれて、風間が袖を引かれている。
 風間は顔を真っ赤にして、怒っているような、けれど照れているような。本気で悪魔たちを振り払おうとしているように、見えはしない。
 女体型とはいえ、悪魔には人間とはかけ離れたヤツもいて、本来なら怯えるにしろ逃げようとするにしろ、普通の人間じゃなかなかできないが戦おうとするにしろ、それどころではないはずだ。
『あいつも神隠しにあったのか? にしても、すでに化かされているようだな。どうするライドウ? 助けてやるか?』
 この事件の被害者に、やつれた者はいても死んだ者はいないらしい。
 今助けても、足手まといで戦力になるわけでもなし、元を断たなければ事件は何度でも繰り返す。
 それに風間は、ものすごく困っているようではない。
 というわけで、とりあえず放っておくことにした。
 見回せば、他にも人間の男たちがぽつりぽつりと現れて、ある者は風間のようにもみくちゃにされ引っ張られ、ある者は自らの足でふらふらと、遊郭の中へと入っていく。
 ライドウの外套が、ツイと引っ張られた。
 振り返れば翼ある少女の姿をした悪魔が、ニコヤカに笑いながら見上げている。
「ねえ、私と合体しない? それとも殺し愛がいい?」
 愛の字は、誤字ではないようだ。
 ライドウは、悪魔ではないから合体はできないと、まずは断る。
「やっだー! 悪魔同士じゃなくったって、合体はできるわよ。えーっと、お兄ちゃんの余分な所を、私の足らないところに足せばいいの。簡単でしょ?」
 返事に困っていると、ライドウの連れの仲魔が口を挟む。
「オバチャン、お嬢ちゃんみたいな可愛い子と、合体してみたいなぁ。ちょうどオバチャン足りてるところがあるし、どうやろ?」
「なにこのクソババァ。あんたの足りてる所なんて、そこの猫でも喰わせたら? あ、猫ちゃんだって好みがあるから、またいじゃうか」
 まあ確かに、今の連れは魚っぽい悪魔ではある。
『我かッ! 我は悪魔ではないッ!』
 ゴウトが尻尾の先まで、毛を逆立てた。が、仲魔は勝手に交渉を続けている。
「あらあら、子どもって無邪気やなぁ。お世辞いちいち本気にしてまうんやもん。けど、大人の言うこと、いちいち本気にしとったらあかんで」
 もう戦いは避けられないとばかりに、ライドウは身構える。
「オバチャン、さすが男前の旦那さんがいるだけあるね。オバチャンが気に入ったから、旦那さんにこれあげる。そのかわり今度会う時は、私へのプレゼントを用意しておかないとダメよ」
 どうやら旦那さんとは、ライドウの事らしい。
 女の子は、ライドウの手に小粒の宝石を押しつけると、「バイバイ!」と手を振ってくるりと宙返り。そのままスッと空気に溶け込むように消え去った。
 ライドウも、数え切れないほど悪魔と交渉してきたつもりだ。
『気にするなライドウ。どうやらこの界隈の悪魔は、駆け引きっぽいことをして遊んでいるだけのようだ。言っている内容に意味はない。考えるだけ無駄なことよ』
 確かに、ゴウトの言う通りのようだ。
「うぉおおおおお! 俺は愛しているぞーッ! 俺をだーッ!」
「大好きよ。だから殺されてくれる? それとも殺してくれる?」
「あちきを騙すおつもりでありんすか? この浮気者」
「フフフッ。誰もが我が手の内で赤き花を散らすことを望むのだ」
 悪魔同士でも交渉っぽいことを、盛んにしている。
 耳を澄まして聞いてみれば、好き勝手なことを言っているばかりで、相手の話など聞いてはいない。
 ライドウの連れの悪魔、このときはたまたまアズミであったが、それがいそいそとライドウに寄り添ってきた。
「けどあの子がいってた、人間と悪魔でも合体できるって、ホンマやろか。オバチャン、ためしてみたいなぁ」
 ゴウトは少しばかり髭をふるわせたが、ライドウは顔色一つ変えなかった。

「どうや? オバチャン結構役に立つやろ?」
 アズミは、海神綿津見命(ワタツミノミコト)を祖とする、全身を銀の鱗につつまれた海人の一族だ。
 悪魔悪魔と呼びはするが、こんな具合に神様やその眷属も、少なくない。
 それを悪魔と呼ぶのは、キリスト教一色の西洋文化の「うちの神様が唯一! 外は全部悪魔!」というアバウトな考え方から発している。
 日本だと災厄をもたらす存在であっても疫病神というぐらいだから「全部神様!」でもさして問題ないのだが、サマナーが扱う人ならざる存在には、どうにも神様らしくないヤツもいて、さらに海外からも山ほどいろんなヤツがきた。
 さらにこの時代の、なんでも西洋っぽく言い換える風潮が加わって、悪魔を使役するのがサマナーで、使役されるのが悪魔、ということになってしまった。
 もっとも『サマナー』は、一般には知られていない隠語である。
 長らく同じ言葉を使っていると、知る人ぞ知るだった隠語も、誰もが知る言葉となり、隠語としての利用価値がなくなってしまうため、時代に合わせて呼び方を故意に変えているという部分もある。

 閑話休題。

 アズミは役に立っていた。
 ここでは、一人歩きの人間の男など、目立つばかりなのだ。
 悪魔の連れがいてさえ、ライドウに近づいてくる悪魔たちは、引きも切らない。
 アズミは、そのたびに連れの仲魔がライドウの首根っこに、薄い水かきと鰭のある腕をまわして二人の仲をアピールしつつ、より来る女悪魔を威嚇して追い払っている。
 首にぶら下がっているわけだが、もとよりアズミは空中でも泳いでいるから、重くはない。いや大半の悪魔が、引力の法則など、あまり気にしていないらしい。
「アタシの旦那に手ぇ出したら、承知せぇへんでッ!」
 往来には、時折驚き慌て抵抗しようとしている人間の男もいる。様子からして、どうやら初めてここに来たらしい。
 だが抵抗も虚しく、悪魔たちに微笑まれ身をすり寄せられると、あっというまに意志を失い言いなりだ。
 確かに艶めいた女悪魔もいるが、異形の悪魔も数多い。
 頭部のみが女の悪魔、上半身だけが女の悪魔、そして人間とは似ても似つかぬ悪魔も等しく、一度悪魔に魅入られたなら、人間は虜となる他為す術はない。
 だから頭部は魚、他は強いて言えば女に見えなくもないアズミが、一方的にライドウにいちゃいちゃしていても、さほどおかしくはないわけだ。
 ライドウは、魅入られた男の一人を装ったまま、この異界を支配する気配の根源を探り続ける。
 人が異界に紛れ込む事故もある。
 悪魔が人を異界に引きずり込むこともある。
 だが、今回は規模が大きすぎる。
 異界の記憶は残りにくく、人にとっては夢のようなものだが、誰もがこの夢を完全に忘れている、というのも普通ではない。
 異界に来たからといって、人が必ず悪魔に絡まれるとも限らない。だがここでは、そう決まっているかのように、人が現れたとたんに悪魔たちが取り囲むのだ。
 アズミの様子はまるっきり、極上の獲物をみせびらかしているオバチャンそのものだ。
 注がれる眼差しは、羨望だけでなく嫉妬もある。
 だがライドウが求める気配は、その類ではない。
 もっと淫靡で血に塗れ、悲痛な嘆きに満ちた気で、この界隈を染め上げる悪魔。
 やがてライドウの周囲の空気が、微妙に変ったことに気がついた。
 数体の悪魔が現れ、ライドウとアズミを取り囲む。
「アタシの旦那に…」
 最後までアズミに言わせず、悪魔たちが口々に凄んでみせる。
「色男を一人占めとは、掟破りでありんすなあ」
「男か鱠(ナマス)か、選べるのは今だけよ」
「な、なによ! オバチャンだって恋を楽しみたいのよッ! あんたたちみたいに、お肌がピチピチな連中に、この気持ちがわかるもんですかッ」
 アズミは叫びながらピチピチと身をくねらせる。
「お初の男は、元締めの挨拶を受けるが決まり。忘れたとは言わせないわよ」
 ライドウは、さらに突っかかろうとするアズミに小さく合図を送る。
「ヒドイッ! ヒドイわあッ! せっかく生きのいい男捕まえたのにーッ!
 どうせアタシの所になんか、絞りカスしか回ってこないのよーッ!」
 泣きながらアズミがライドウを置いて逃げ出すと、早速上半身は女だが下半身は芋虫のような悪魔が二匹。両腕は使えないのか使わないのか後ろに組んだまま、その蝋のように透き通った柔肌をライドウに密着させて押し始める。
 お菊虫だ。
「いい男でありんすなあ」
「ほんに、精も気も充ち満ちて」
「責めて一口なりとも…」
 責めの字も、誤字ではない。
 よくよく見ればお菊虫の柔肌には、責められた跡が縦横無尽に走っている。
 お菊虫は、愛おしそうにライドウの首筋に、背伸びしながら代わる代わる舌を這わせた。
 ライドウは、悪魔に魅入られた者のフリをして、無表情に受け入れる。
 吸血鬼ならずとも血脈の太い首筋は、悪魔をそそる部位であるらしい。
 だがまだ生気を奪われているわけではない。
 そして元締めとやらに会うためならば、多少の生気を犠牲にする覚悟はできている。
「お前たちが良く働けば、元締めも褒美をくれるかもしれませんよ。ですがつまみ食いなどすれば、わかっていますね」
 この悪魔たちのリーダーらしき女悪魔が、冷たく言い放つと、お菊虫たちは残念そうにライドウの首筋を舐めるのをやめ、その代わりとばかりに、はだけた胸をますます密着させて押し始めた。
 ライドウは押されるままに、歩き始める。

「クヤシー! アタシの旦那様に、ベタベタくっつくんじゃないわよッ!」
 路地からアズミが、連れて行かれるライドウをの後ろ姿に、水かきを噛み、身をよじる。
『もう旦那はいい。それより追うぞ』
 足下の影から、ゴウトが抜け出してくる。
「あら。ついてくと決めた悪魔にとって、サマナーはまさしく旦那様よ」
 そして二つの影が、つかず離れずライドウたちを追い始めた。

          ***

 そんな建物が、現実の遊郭界隈にあっただろうか?
 あったような気もするし、夢によくある、あるはずのない場所のように見える。
 が、もとよりライドウは、現実のこの界隈を詳しく知らず、判別のしようがない。室内となれば、なおさらだ。
 所狭しと異国の美術品が並び、彩色された天井から様々な装飾品がつり下げられ、きらびやかに揺れ動く。
 その合間を、着飾った異形の悪魔たちが、漂うように往き来している。
 ライドウは、タイやヒラメやアズミが舞い踊る竜宮城を連想した。
 事実アズミも何体かいるようだ。
 やがてお菊虫は、ライドウを座敷に押し込んだ。
 何人もの美丈夫の若い男たちが、何をするでもなく、行儀よく並んで座っている。
 気力も体力も満ちているはずの若い男たちが、こうも大人しいのは異様といっていい。
 あの金満氏の息子のように、やつれた様子がないのは、彼らがみな、ここに来るのが初めての者たちだからだろう。
「なんですやろ。妙にトウの行ったのが、一人混じっておりますなぁ」
「ホンに場違いな。誰が連れてきよりましたん?」
 お菊虫たちの言葉に当人も自覚があった、いやまだ意志を失っていなかったと言った方がいいかもしれない。
 とはいえ、いい加減異界で悪魔と意志を失った美丈夫たちに囲まれて、絶望ぎみであるようだ。お菊虫たちの声に振り向き、パッと顔を輝かせ、大声で叫んだ。
「鳴海の所の、書生じゃないかッ!」
 風間刑事だ。
 彼はすっとんできて、ライドウの肩を両腕でつかみ、ゆさゆさと揺さぶる。
「わかるか! 風間だ! 刑事の風間だッ! オイ! 自分が誰だかわからないのか? 鳴海ん所の書生のライドウだ。そう、葛葉ライドウだッ!」
 お菊虫たちは、突然の風間の行動に驚き、そしてライドウと聞いて狼狽えた。
「なんやって?」
「ライドウ? あのライドウでありんすか?」
 もはや騙し通すのも無理とあきらめ、両脇を固めるお菊虫身を突き飛ばし、身を翻して廊下へ飛び出す。
 可哀想だが、今風間を助けている余裕はない。
「ま、待ってくれッ!」
 風間もそれに倣ったようだ。
 足に自信のあるライドウだが、風間とて刑事として身体は鍛えている。
 しかも先を走るライドウの行く手には、次々悪魔たちが現れる。
 風間に襲いかかる悪魔もいるが、まるでライドウが風間のために露払いをしているも同然だ。
 ついに風間は、ライドウの外套の端を捕まえる。
 その時だ。
「つーかまえたッ!」
 真横から飛びつくように、銀色の悪魔もまた、ライドウを捕まえた。
「アタシよ! アタシがつかまえたんだからね! ご褒美はアタシのものよッ!」
 悪魔は急いで囁く。
「オバチャンが来たから、もう大丈夫」
 一方、悪魔に耳元で何事か囁かれ、ふいに立ち止まったライドウを見て、風間は固まっている。
「あんたッ! 若い男のケツおいかけて何するつもりや!」
 ライドウにしがみついたまま、アズミがキッと睨み付ければ、風間は手を離し、よろよろと後ずさり、そして背を向け一目散に逃げ出した。

 再びアズミを首にぶら下げ、今度は本当にアズミに引かれて、建物の奥へと向かう。
 すでにアズミはある程度ここを調査したらしい。
 周囲に同族のアズミたちが集まって、他の悪魔たちがライドウたちに、ちょっかいを出さないよう護っている。
 同種の悪魔たちでも、よく戦う。
 だが、悪魔にとっては、話し合いも殺し合いも大差ないらしい。そのため逆に、同種なら片方が話し合いを望めば、交渉が成立しなくても戦いはまず起きないのだ。
 それでも周囲のアズミたちと、他の悪魔たちの小競り合いは、避けきれない。
「あんな、ここの元締めラミアやて。でな、オバチャンがんばるから、一緒に戦わしてくれんやろか? オバチャン、どうしてもラミアに言うてやりたいことあるんよ」
 ラミアと聞いて、この内部の印象が竜宮城に近いことに合点がいく。ラミアもまた、海の神の眷属に近い悪魔なのだ。
 海神ポセイドンの血は引くものの人間であったはずの彼女は、主神ゼウスの目に止まったがためにゼウスの妻ヘラに呪われて、今の姿があるという。
 通常悪魔たちは、よほど関わりがないかぎり、他の悪魔の経歴などには、興味を示さない。だがアズミは、悪魔たちについて書かれた人間の本を読むのが、好きだった。
 だが、ラミアとなれば、かなり手強いはずだ。
 アズミはライドウの仲魔の中でも古株で、それゆえ気心も知れているが、後々ずっと強力な仲魔が加わっているから、戦力としては物足らない。
 だがずっと一緒に戦ってきた分、アズミも強くなっている。アズミに想うところがあるならば、ギリギリまでその望みを叶えてやるのも、いいだろう。

           ***

 たどり着いたのは、和洋折衷というよりは和とギリシア風が混じった、大浴場だった。
 その広く、そして深さも充分ありそうな石の浴槽の中央に、女が一人佇んでいる。
 手ぬぐいで目隠しをしているが、それでも美しい女とわかる。
 余すことなくさらけ出された、はちきれんばかりの両の胸も、人間の女そのものだ。
 だがその水面下には、浴槽一杯に巨大な蛇の身がのたうっている。
「誰や? 妾の褥(わらわのしとね)に押し入る無礼者は」
 ライドウは、この大浴場に大國湯の印象が混じり込んでいることに気がついた。
 どこかで見たような気がしたのは、遊郭と同じく深川町にある大きな風呂屋に雰囲気が似ているからだ。
 ただし一回り大きく、各所が金と大理石で飾り立てられている。
「ただの通りすがりのオバチャンやッ!」
 ライドウが口を開く前に、アズミが叫ぶ。
 気がつけば、周囲のアズミたちも、そのアズミたちにちょっかいを出していた悪魔たちも後ろに引いて、成り行きを見守っている。
 アズミの返事を、ラミアは鼻で笑う。
「その男なら、貢ぎ物として受けてやるぞえ。それで無礼だけは帳消しじゃ」
「何が貢ぎ物や! あんた! みんなに合体させたるゆうたそうやな!」
「そなたも褒美が欲しいかえ? ならばもっとよい男を妾の元へ連れてまいれ」
「騙されるかい! オバチャンはね、旦那もちや! 凄腕のサマナーの旦那もちや! 合体はな、サマナーのこと心から信頼しとる悪魔同士が、身も心も解け合って、別の悪魔になることなんやで! オバチャン、旦那と一緒にヴィクトルはんとこいって、もう何遍もこの目で見たわ。この帝都に他に合体できるとこなんて、見たことも聞いたことない!」
 一部の悪魔たちがざわめくが、きょとんとしている悪魔もいる。
 ざわめいたのは、女の特徴を色濃く持った悪魔たちだ。
 アズミはなおも、声を張り上げる。
「あんたがやろうとしとるんは、合体やないやろッ! 悪魔と人間の交合や! 交合させて、何しようとしとったか、このオバチャンの口からはっきりゆうてやろか!」
「黙れ! 口うるさい小魚がッ! その口裂いてくれようぞ!」
 ラミアは明らかに焦っている。
「黙らん! オバチャン知っとるで! あんた昔、やたらめったら交合したそうやな! で、産んだ子どこやった! 全部その口で、喰うてしもたかッ!」
「黙れッ!」
「それでも足らんと悪魔と人間交合させて、その子喰う気かッ!」
 悪魔たちが、混乱していることは確かだった。
 たぶん、興味本位でこの騒動に乗った悪魔もいただろう。
 人間の子を浚って喰う悪魔も、話としては珍しくない。
 人の倫理も常識も、悪魔には通用しない。
 それでも一部の悪魔たちは、ラミアに騙され利用されたと気がついた。
 他の悪魔を従える悪魔もいるが、それとは違う。
 一方ラミアの怒りは頂点に達し、それは嵐の前の静寂を呼ぶ。
 ラミアが身をくねらせ、水面から高くその上半身を持ち上げていく。
 そして、顔を覆う手ぬぐいを解き、はらりと捨てる。
「そうもいろいろ知っておるなら、この意味もわかっておろう。これは妾の安息。これは妾が喰わぬためのもの。だが妾の傷をえぐりその封印を解いたは小魚、そちじゃ!」
 その下の両の目がある場所は、深く落ちくぼんでいるばかりだ。
 背後の悪魔たちが、ワッと逃げ出す。
 ラミアは両手で顔を覆い、その手を離した時、そこには狂気を宿した両の眼差しが揺らめいていた。
 ライドウは、咄嗟に腕を上げ視線を遮ぎる。
「あらん」
 だがアズミが場違いな甘い声を上げる。ラミアの術にはまったのだ。
「そこな小魚。妾が望んで喰うたと思うてか! 呪われ愛しき我が子を喰ろうた苦しみ、知らしめようぞ! お前の愛しき旦那を喰らうがよい!」
 ゆっくりと振り向くアズミの眼差しは、ラミアと同じ色に染まっている。
 そしてその水かきのついた両手を振りかざし、ライドウに襲いかかってきた。
 アズミの指は長く爪は鋭い。
 だがライドウは、ラミアと聞いて用意しておいた鎮心符を、慌てず掲げる。
 向かってきたアズミが、そのまま符を引き裂くが、効果は確実にアズミに及ぶ。
「あら」
 アズミは正気を取り戻すが、その間をラミアは無駄にしなかった。
 浴槽の水をはね立てながら、人の胴ほどもある蛇の胴が、ライドウとアズミに向かって、津波のように襲いかかる。
「アブナイ!」
 アズミは正面からライドウに飛びついて抱え上げようとする。空中に逃れようというのだ。だが間に合わず、まとめて蛇の胴になぎ払われる。それでも衝撃は軽減される。
 その余裕でもってライドウは、回避と体勢の立て直しをアズミに任せ、すでに銃に込めておいた衝撃弾を、アズミごしにラミアに打ち込む。同事にアズミに行けと促す。
 アズミは即座にライドウを手放し、身を翻して突進する。
「あぁッ!」
 予想もしないその反撃にラミアが怯んでいる。
 そこにアズミが、宙を泳いで飛びかかる。
「あんたの性根、オバチャンが叩きなおしたげるわッ!」
「この身の程知らずの腐れ魚がッ!」
 一方ライドウは、着地と同事に床を蹴り、そのままラミアの胴に斬りかかる。
 だがその攻勢も長くは続かなかった。
 ラミアは怯みはしたが、それは一瞬のことで、すぐに持ち直し、身をよじりその長い胴を叩き付け、両手でつかみかかり心を支配しようと睨み付けてくる。
 ライドウは視線をそらしつつ、アズミにも警戒させるが、どうしても攻撃の手はゆるんでしまう。
 ラミアもその僅かな時間を無駄にはしない。胴でライドウとアズミを絡め取り、締め付けつつなお両手も口も使って襲いかかってくる。
 それを退けるのはライドウの銃弾。
 撃ち、避け、接近し、攻撃を与えてはすぐさま離れる。
 だがラミアも攻撃の手をゆるめない。傷を負うことを覚悟の上で、その口、その両腕、そして胴を使いライドウを、そしてアズミを傷つける。
 双方に傷が増えていく。
 いや、アズミは幾度もその銀の鱗を宙に飛散させる。
 ライドウは幾度もアズミに、攻撃の手をやめ傷を癒せと命令する。
 でなければアズミは、捨て身で攻撃を続けるだろう。
「共に妾の僕とし、互いに殺し合わせてくれようぞ!」
 ラミアは叫び、心を蝕まんとする。
 ライドウは鎮心符を使い、支配されたアズミの心を解放する。
 だが、ライドウの心もまた蝕まれ、はたと気づけば、アズミに深傷を負わせていた。
「ダイジョブや、オバチャンのことは気にせんと、今は戦い!」
 アズミに自らを癒すように言い、ライドウはラミアを撃ち、そして斬りかかる。
 双方共に、すでにボロボロだ。
 再度ラミアは叫び、アズミが支配される。
 ライドウの手元には、鎮心符の最後の一枚が残っている。が、ラミアはそれを使わせまいと、ライドウとアズミを胴に絡め取り押さえ込む。
 締め上げられる苦しみの中、それでもアズミはライドウに向けて、体温を奪う呪いを放つ。
 もはや、アズミは帰還させ、精神攻撃に強い仲間を召喚するしかない。
 だが、この状態ではそれもままならない。
 勝利を確信したラミアが、ライドウに向かって狂気混じりの妖艶な微笑みを浮かべた。
 ラミアの心が、ライドウの心を支配しようと、忍び込んでくる。

 愛し子を喰らう呪いを受け、その絶望のあまり人としての存在を捨てたラミアの心。
 なお許されず、さらに眠りを封じられたラミアの狂気。
 両の眼を抜いて得る、僅かな安息。
 その呪いの源は、夫を奪われた女の嫉妬だ。
 力ずくで次々女をものにした浮気者の男の妻は、夫ではなく女たちを深く呪った。

 一発の銃声と共に、ライドウは自分が大浴場の床に叩き付けられたことに気がついた。
 銃は手にしている。
 かすかにこれでアズミを撃ったことを、覚えている。
 だが今の銃声は、自分ではない。
「ら、ライドウくん! ここは警察に任せて逃げるんだッ!」
 風間刑事だった。
 ありえぬ状況に狼狽え怯えつつも、その職務と責を果たそうとしている。
 浴槽の中央で、ラミアが両手で顔を覆っていた。
「妾の目はどこじゃ!」
 風間の銃とその銃弾で、悪魔に対しできることなど僅かでしかないはずだ。
 だが、勘と狙いは確かだった。
 のたうつラミアの向こうで、アズミもまた立ち上がる。
 ライドウは微笑み、アズミに総攻撃の合図を出し、そして自分も駆け出した。

          ***

 鳴海が金満夫妻に向かって、自信満々謎解きをする。
「原因は、浮気者の男とその妻だったんですよ。大昔のね。
 男は権力にあかして女を囲い、子を作った。
 妻はその女を恨んで、その子を殺して女に喰わせたんです。
 で女が狂うと、男がその女の目をくり抜いた。
 女は蛇になって、怨みをはらす相手を探してた」
『ずいぶん話をはしょったな』
 後ろに控えるライドウに、そのまた後ろからゴウトが囁く。
 もちろん猫の小さな泣き声など、この場では全員に無視される。
「お宅ん所へ来たのには、心あたりがあるんじゃありませんか?」
 金満夫妻は、黙り込んで互いを睨む。
「だがどうして息子が狙われたんだ」
「そりゃあ、あんたたちから子を奪いたかったんでしょう。
 こういう時は下手に祓わず、社を建てて祀ってやるのが一番です」
 夫妻の息子は、生気と健康を取り戻しつつある。
「はっきりとは覚えてないけど、これだけは確かです。僕は子も目も無くし、泣くに泣けぬ女と一緒にいたんです。可哀想で、僕は一緒にいたんです」
 その母親は、まずは息子の貞操を気にしたようだ。
「まさか、その女と間違いを犯したんじゃあるまいね!」
「どうやって! 彼女は腰から下が蛇だったのに」
 夫妻は顔を見合わせ黙り込む。
「父さん母さんお願いです。彼女のために、庭に社を建ててください」
 鳴海は大げさに同意する。
「それがいいですよ。こういう場合、ちゃんと祀れば家の守り神にさえなってくれると、相場が決まってます。ほら鬼子母神だって子をさらって喰ったけど、今じゃ安産と子どもの守り神だ。いいことありますよ」
『またいい加減なことを。悪魔はそんな簡単なものではないというに』
「もっとも浮気と悋気には、祟る神となるでしょうが、そっちは祀らなくたって同じことです。だったら祀って御利益を得た方が、ずっとお得だ」
 成り上がり者の金満氏は、旧家のように家で独自の神を祀るという考えに、ひどくそそられたようだった。
 なお金満夫妻は、有能な書生をぜひうちで引き取りたい、魔除けの猫も込みで、ついでにあのシールはもっとないのか? と言い出したが、こちらは丁重にお断りした。

           ***

 目覚めた風間刑事は、今の今まで見ていた夢を、思い起こそうとする。
 掌の中の砂のようにこぼれ落ちつつあるが、確かこんなような夢だった。
 女たちに引かれ、なんだか煌びやかな所に連れ込まれた。
 そこには美丈夫がたくさんいて、そうだ、確か鳴海の所の書生もいた。
 だが、女たちに追いかけられたのは、俺だった。
 書生が、化け物に喰われそうになっていた。
 俺は勇敢にも化け物の前に飛び出して、書生を救ってやったんだ。
 全ては夢の中の出来事だが、気分がいいのでしばらく鳴海を許してやることにした。
 帝都には、まともな事件があふれている。
 怪しいの専門なんていう、あやしい探偵風情にちょっかい抱いてる暇はない。

 風間刑事が、奇妙な事件がぴたりと収まったことを知るのは、もうしばらく後になる。

           ***

(ねぇ、ここが業魔殿? なんかすっごーい!)
(これが本格的というものでありんすなぁ)
「ライドウッ! いつの間に複数召喚できるようになったのだッ!」
 ヴィクトルが驚くのも無理はない。ライドウの後ろに女悪魔たちが一山たむろって、ワイワイキャーキャーと、囁き合っている。
 まず彼女たちは自分の仲魔ではないと、ライドウは説明する。
 あの異界にいた悪魔たちは、大半がラミアの気に引かれて集まり、遊郭ゴッコをしていただけだ。
 だが女悪魔たちの中には、本気で合体を望んでいた者もいた。
 好奇心であったり、退屈からの脱出であったり、今の自分から脱皮し新たなステータスに進むことを望んだり。
 ラミアのような、つらい過去を持つ者もいる。
「で、『ついてきちゃった』というわけかッ!」
憑いてきちゃったというわけだ。
 仲魔の依り代となるクダに空きがなくても、彼女たちは諦めなかった。
「ライドウ、我が輩としては研究素材が増えることは歓迎だッ! だが、知っていよう! 刀や物に封印してもよいが、合体であればまず第一に、相手が必要だッ!」
(あたしたち同士で、合体すればいいもんねぇ。)
「相手の性別など悪魔に関係はないッ! ただしッ! 同族とは合体できん!
 そして第二にッ! サマナーの仲魔でなければならんッ! ただの仲魔ではなく、サマナーに全幅の信頼を寄せていなければならんのだッ!」
 女悪魔たちの視線が、瞬時にライドウに集まった。
「あんたらッ、オバチャンの旦那に、迷惑かけんといてやッ!」
 アズミに一喝され、女悪魔たちは目をそらす。
 ヴィクトルは、小さな騒ぎを無視して続ける。
「第三にッ! 合体後の悪魔がサマナーの力量を越えんことだッ! で、葛葉のライドウ。まさかこいつらを、見せびらかすためだけに来たのではなかろうな」
 アズミが一歩、前に出る。
「オバチャンやけど合体させてもらえるかな。もう相手も決めてるし、条件も大丈夫のはずや。今回な、自分の限界を感じてしもて。お別れするんはつらいけど、ホンマのお別れとは違うしな。ヴィクトルはんの腕もわかっとるし、お任せしてみよと思って」
 ライドウも、同意していると小さくうなずいた。

 アズミと、もう一体の悪魔がいなくなり、新しい悪魔がやってきた。
 新しい悪魔も、ライドウや他の仲魔たちと、馴染みつつある。
 ついてきちゃった女悪魔たちは、クダに空きができたら次こそ自分をスカウトさせようと、業魔殿や鳴海探偵事務所の周辺を、うろついている。
 アズミはヴィクトルに、ライドウあての手紙を託していった。
「外食ばっかやなく、たまには自炊してな」
 ただそれだけ書かれた、しっとり湿った手紙には、銀の鱗が一枚添えられていた。

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