(C)hosoe hiromi
 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2003.10.28
2005.1.15 最終更新日

3 ズリタの失敗

 ズリタは、船室に閉じこもり、水差しの生ぬるい水を頭に注いで、頭をはっきりさせようとした。落ち着いて今起きたことを考えたかった。
(海の怪物が、まっとうなスペイン語を話しやがったぞ! なぜだ! イタズラだからか? それとも俺の妄想か? いや、妄想ならみんな一緒ってことはない。夢だって、他人と同じ夢を見るなんてことはできないんだ。俺たちはみんな、同じ海の怪物を見た。こいつは間違いなく現実だ。いるはずのないものが、確かにいた。)
 彼はもう一度、頭に水をかけて、考えをまとめようとする。
(もしこいつが現実なら、何を意味するんだ? どうなってるんだ。見たところ水中でも空気中でも生きていられるようだった。そしてスペイン語を話す。つまり、話ができるってことだ。ってことは……。もし俺が怪物を捕まえたら、真珠を採ってくるように、飼いならすことができるってことだ! 船の真珠採りの連中全部を、ヒキガエル一匹と取り替えることができたら、儲かるぞ! なにせ真珠採りには、採った真珠の四分の一をやらなきゃならんが、ヒキガエルには何もやる必要がない。そうなったら、あっというまに何百万だって稼ぐことができる!)
 ズリタには、まだ発見されていない真珠貝の群生地を見つけて、金持ちになるという夢があった。
 ペルシャ湾、セイロンの西側、紅海、オーストラリアの領海。有名な真珠の産地は、すでに荒らされてしまっている。なら、トマスやマルガリタ島、メキシコ・カリフォルニア湾には? 今のズリタには、アメリカでもっとも有望なベネズエラの海まで行くことができない。あまりにもこの帆船が古いからだ。スピードも出ないし、真珠採りたちや、必要な物を乗せられるだけの広さもない。大きな船が欲しくても金がない。だからアルゼンチンにいるしかない。
 しかし今! もし今海の悪魔を捕まえることができたら、一年で金持ちになれるだろう。そしてその金を使えば、アメリカへ行くことができる。金が全て導いてくれる。人々はみな、ペドロ・ズリタの名を口にするようになる。
 しかしそのためには、注意深くやる必要がある。一番大切なのは、誰にも知られぬうちに行動を起こすことだ。
 ズリタはまず甲板に上がると、乗組員を全員集めた。
「海の悪魔のことを話したヤツが、どうなったか知ってるか? 警察にしょっぴかれて、務所入りだ。だから俺はお前らに注意しておく。務所で腐りたくなけりゃあ、忘れるんじゃないぞ。命が惜しけりゃ、悪魔のことは一言も口にするな。わかるな? 生きてお天道様の下を歩きたければ、悪魔のことは一切口にするんじゃない」
 こう口止めしはしたが、もしこの出来事が噂になったとしても、あまりにもおとぎ話めいていて、誰も信じはしないだろうとズリタは思った。
 次にバルタザールを、自室に呼んだ。そして自分の計画を、彼に話した。
 バルタザールはズリタの話をよく聞くと黙り込み、そして答えた。
「いいですな。海の悪魔は、真珠採り何百人分もの価値がある。ヤツを捕まえて使うことができれば、ですがね。しかし、どうやって捕まえるつもりなんです?」
「網だ」
「ヤツは、サメの腹のように、網も切り裂くでしょうなぁ」
「なら金網を使う」
「それで捕まえられますかねぇ? それに、悪魔のことを他の連中に何って言うんです? 人手を使わないわけにはいきません。けど、いくら金を積んだって、やりたがるモンはいやしませんよ」
「バルタザール、お前はどうなんだ」
 バルタザールは、腕を振った。
「海の悪魔を見つけることができたとして、ヤツが肉と骨からできてるんなら、殺すことだってできるでしょうな。けど、ダンナが欲しいのは、生きたままの海の悪魔だ」
「怖くはないのか? バルタザール、海の悪魔は何者だと思う」
「天駈けるジャガーか、はたまた木に登るサメか。知らない動物は恐いもんです。けれど俺は、恐ろしい動物ほど狩ってみたくなるんでさ」
「よし。報酬はたっぷり出すぞ」
 ズリタはバルタザールの手をしっかり握った。
「関係者は少ない方がいい。お前のような、勇敢で賢いアラウカンの男を五人集めてくれ。それ以上はダメだ。船で見つけられなきゃ陸のヤツを入れろ。悪魔の隠れ家は、海岸に近いところにあるはずだ。そこに網をかければうまくいくに違いない」
 すぐさま二人は、この計画に取り組んだ。
 まずズリタは、蓋のない大きな樽のような金網を手配した。蜘蛛の巣のように広げた麻の網で海の悪魔を絡め取り、金網で捕まえるつもりなのだ。
 バルタザールは、メドゥーサ号のアラウカンを二人を、海の悪魔探索に加わるように説得した。そしてブエノスアイレスで三人加えた。
 そして、わずかな手がかりでもつかもうと、メドゥーサ号が初めて海の悪魔と遭遇した場所から、探索を始めることにした。
 まずメドゥーサ号は、海の悪魔に感づかれないように、入り江から何キロか離れた場所に錨を下ろした。そして、まるでそのために来たかのように漁をしながら、三交代で海岸の岩を注意深く見張った。
 その間バルタザールは、捕った魚を付近のインディオの農家に安く売りさばいて住民たちと懇意になり、海の悪魔の噂を聞き出した。それにより彼は、自分たちが正しい場所を探索していると確信した。入り江周辺のインディオたちは、角笛の音をその耳で聞き、砂の上に残された足跡をその目で見ている。話によると、そのかかとは人間によく似ているものの、指はかなり細くて長いらしい。
 インディオは、砂浜に寝転がった跡さえ、ときおり目にするという。けれど海の悪魔の実害はないので、このあたりの人々はとっくに海の悪魔について騒ぐのをやめてしまっていた。
 そして、そのまま二週間が過ぎたが、魚釣りをしているように見せかけながら、海を見張っていた者たちの前には、海の悪魔は現れず、何の手がかりもつかめなかった。
 ズリタは心配になってきた。何も得る物がなく、イライラしてきた。毎日海の悪魔に待たされたあげく、雇っている連中への支払いに、金だけが消えていく。
 彼は疑いはじめていた。もし海の悪魔が超自然的な存在なら、彼の網で捕まえることはできないだろう。悪魔に関われば呪われてしまう。
 ズリタは迷信深かった。もしそうなら、司祭を呼んでお払いをしてもらわなければならなくなる。そうすると、また余計な出費がかさんでしまう。
 彼はこうも考えた。海の悪魔は、人々を驚かすために悪魔に変装した、お調子者の水泳の名人ではないだろうか? あるいは、お調子者のイルカか? しかし動物なら、どんな動物でも、飼いならして訓練することができるはずだ。いまさらこの計画を中止することなんて、できるものか。
 ズリタは、最初に悪魔を見つけた者への報酬を約束して、あと数日待つことにした。
 そして幸運なことに、三週間目に入ると海の悪魔が現れ始めた。
 ある夜、バルタザールが翌朝買取人に受け渡す魚をボート一杯に積んだまま、近くの知り合った農家に出かけた。そして戻って来ると、ボートが空になっていた。すぐに彼は、海の悪魔の仕業に違いないと合点したが、驚きもした。
「しかしヤツは、こんなにもの沢山の魚を、本当にむさぼり喰うのか?」
 同じ夜、見張りは入り江の南方から聞こえてくる角笛の音に気がついた。
 その二日後の早朝、見張りの若者が、ついに海の悪魔を見た。
 悪魔はイルカには乗っていなかったが、イルカのヒレを持って一緒に泳いでいた。そして悪魔は切り立った岬の近くでイルカの体を叩くと水中に潜ってしまい、イルカは水面を泳いでいなくなった。
 ズリタは見張りに報酬を約束してから、こう言った。
「海の悪魔は、昼間はほとんど出てこないようだ。だから、入り江の底を見てこなきゃならん。誰がやる?」
 しかし誰も、どんな危険が待っているかわからない海底に潜りたがりはしなかった。
「俺が行く!」
 バルタザールが前に出て、ただこう言った。
 メドゥーサ号に見張りを残して、ボートで岬に移動した。
 バルタザールは、ロープを身に結び、襲われる危険に備えてナイフを手に持ち、足の間に石を挟んで、海の底へと潜っていった。
 アラウカンたちは、はらはらしながら、崖の影の下の青い海底でちらちらと動く点を凝視し、戻ってくるのを待っていた。
 四十秒、五十秒、一分。バルタザールは、戻ってこない。
 ついに合図があり、バルタザールはロープで引き上げられた。
 バルタザールは、息を整えてから言った。
「陸の方に続いている狭い洞窟があったよ。まるサメの腹の中のように真っ暗で、壁が滑らかな洞窟さ。海の悪魔がいるとしたら、ここに違いないね」
「そいつはすごい」と、ズリタは叫んだ。「そんなに暗いなら、好都合だ! 網を仕掛けるのにちょうどいい! 小魚がかかるぞ」
 日没のすぐ後で、アラウカンたちは洞窟の入り口に、丈夫なロープで金網を仕掛けた。
 バルタザールは、ちょっとでも何か掛かったら鳴るように、そのロープの端に鐘を取りつけた。
 ズリタとバルタザールと五人のアラウカンたちは、その上の陸で静かに座り、敵を待ち構えた。
 帆船には、誰も残らなかった。
 あっというまに真っ暗になった。
 月が昇り、月明かりが海に映った。
 静かだった。
 異常な胸騒ぎが、全てを包んだ。
 多分、今夜彼らは、真珠取りと漁師たちを恐れさせた、その正体を目にするだろう。
 夜の時はゆっくりと流れていく。
 みな、いつしか居眠りを初めていた。
 突如、鐘が鳴り始めた。
 アラウカンたちが飛び起きてロープを掴み、網を上げ始める。
 重かった。
 ロープが震えている。
 誰かが網の中で、暴れているのだ。
 網が海面に現れた。月の明かりの中で、半人半獣の怪物が暴れていた。
 月明かりを反射して、巨大な目が銀色に輝いている。
 網に絡まった手を引き抜こうと、海の悪魔はじたばたしていた。そしてついに、手を引き抜くと、腿の薄いベルトからナイフを抜いて、網を切り始めた。
「金網が切れるものか。お前は囚われの身だ!」
 バルタザールが、獲物から目を離すことなく、静かに言った。
 しかし、驚くことに、ナイフは金網を切り開き始めた。
 海の悪魔は器用にその穴を広げ、狩人たちは急いで網を引き上げる。
「もっと力を入れろ! それ、それ!」
 バルタザールは叫んでいた。
 しかし、そのとき、ついに脱出口が完成した。海の悪魔はその切り口に飛び込み、水しぶきを上げて、深みへと姿を消した。
 必死に引き上げていた狩人たちから力が抜けて、網が落ちる。
「なんてナイフだ! 金網を切りやがった!」バルタザールが、ため息をついた。「水の中の鍛冶屋は、ワシらの鍛冶屋より、腕がいいらしい」
 ズリタは頭を下げ、全財産が沈んでいるかのように、海を覗き込んだ。それから顔をあげるとモジャモジャした髭をかきむしり、足を踏み鳴らした。
「まだだ、まだだ! お前の洞窟で死ぬことになろうと、あきらめはせんぞ。戻ってくるからな! 金は惜しまん。潜水夫を雇い、入り江に網と罠を張り巡らせ、絶対に捕まえてやる!」
 彼は無鉄砲で、頑固で、執念深かった。
 ズリタの中で、先祖から伝わるスペイン人の、征服者の血が騒いでいた。
 海の悪魔は、超自然的な全能の存在ではないことを証明した。バルタザールが話した通り、ヤツは骨と肉からできている。なら、海の底からズリタの富を取ってこさせるために、捕まえることができるということだ。
 海の悪魔が三又の槍を持った海の神に守られているとしても、バルタザールなら必ず捕まえることだろう。

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