(C)hosoe
◆両棲人間もくじ >  ◆小説もくじ

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2003.10.28
2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第三章   ズリタの失敗

 ズリタは、何が起きたのか考えようと、船室に向かった。
「頭がおかしくなったのか!」ズリタは、水差しの生ぬるい水を頭からかぶり、つぶやいた。「海の怪物が、まっとうなスペイン語を話しやがったぞ! なぜだ! 悪魔だからか? 妄想か? いや、妄想ならみんな一緒ってことはない。夢だって、二人で同じ夢を見ることはできないんだ。俺たちはみんな海の悪魔を見た。だから間違いない。どんなにあり得ないとしても、確かにいたんだ」
 彼はもう一度頭から水をかぶり、頭を冷やそうと舷窓から外を眺めた。
「とにかく、怪物は人間のように考え、分別を持っている」と、彼はいくらか落ち着いて考えた。「水中でも水上でも同じように行動できる。スペイン語も話せるなら、言うことを聞かせられる。もし……怪物を捕まえて手懐けて真珠を採らせることができたとしたらどうだ! この海の中でも行動できるヒキガエルが一匹いれば、真珠採りの連中全部を、ヒキガエル一匹と取り替えることができれば、儲かるぞ! なにせ真珠採りには、採った真珠の四分の一をやらなきゃならん。だが、ヒキガエルには何もやる必要がない。そうなったら、あっというまに何十万何百万ペセタだって稼ぐことができる!」
 ズリタは想像した。まだ発見されていない真珠貝の群生地を見つけて、金持ちになるという夢があった。ペルシャ湾、セイロンの西海岸、紅海、オーストラリアの海域。こうした真珠貝の産地は遠く、すでに荒らされてしまっている。なら、トマスやマルガリタ島、メキシコ・カリフォルニア湾に行くか? 今のズリタには、アメリカでもっとも有望なベネズエラの海まで行くことができなかった。あまりにもこの船が古く、真珠採りの数も足らず、十分な資金もなかったからだ。だからアルゼンチンにいるしかない。しかし今! もし海の悪魔を捕まえることができたら、一年で大金持ちになれるだろう。彼はアルゼンチンで一番、いやアメリカで一番の大金持ちになるだろう。そうなれば金が権力を導いてくれる。
 しかしそのためには、注意深くやる必要がある。一番大切なのは秘密を守ることだ。
 ズリタはまず甲板に上がると、料理人にいたるまで乗組員を全員集めてこう言った。
「海の悪魔のことを話したヤツが、どうなったか知ってるか? 警察にしょっぴかれて、務所入りだ。だから俺はお前らに注意しておく。務所で腐りたくなけりゃあ、忘れるんじゃないぞ。命が惜しけりゃ、悪魔のことは一言も口にするな。わかるな? 命が大切なら、悪魔のことは絶対に話すんじゃない」
(と言ったものの、あまりにおとぎ話めいていて、誰もこの話を信じないだろうがな)とズリタは考え、バルタザールを船室に呼び、彼にだけ計画を話した。
 バルタザールはズリタの話をよく聞くと黙り込み、そして答えた。
「いいですな。海の悪魔は、真珠採り百人分もの価値がある。ヤツを捕まえて使うことができれば、ですがね。しかし、どうやって捕まえるつもりなんです?」
「網だ」と、ズリタは答えた。
「ヤツは、サメの腹のように、網も切り裂くでしょうなぁ」
「なら金網を使う」
「それで捕まえられますかねぇ。それに、悪魔のことを他の連中にどう話すんです。人手を使わないわけにはいきません。けど、悪魔と聞けばびびっちまって、金を積んでもやりたがるモンはいやしませんよ」
「バルタザール、お前はどうなんだ?」
 バルタザールは、肩をすくめた。
「海の悪魔を狩ったことはありませんな。待ち伏せするのも簡単じゃない。ですが、ヤツが肉と骨からできてるんなら、殺すことはできるでしょうな。けど、必要なのは生きたままの海の悪魔だ」
「怖くはないのか? バルタザール、海の悪魔は何者だと思う」
「天駈けるジャガーや木に登るサメについて考えられますか? 知らない動物は恐いもんです。けれど俺は、恐ろしい動物ほど狩ってみたくなるんでさ」
「よし。報酬はたっぷり出すぞ」
 ズリタはバルタザールの手をしっかり握ると、彼の前で計画を練り続けた。
「関係者は少ない方がいい。お前のような、勇敢で賢いアラウカンの男を五人集めてくれ。それ以上はダメだ。船で見つけられなきゃ陸のヤツを入れろ。悪魔の隠れ家は、海岸に近いところにあるはずだ。そこに網をかければ簡単に捕まえられるだろう」
 すぐさま二人は、この計画を実行した。まずズリタは、蓋のない大きな樽のような金網を手配した。蜘蛛の巣のように広げた麻の網で海の悪魔を絡め取り、金網で捕まえるつもりなのだ。バルタザールは、メドゥーサ号でアラウカン族のインディオを二人、悪魔狩りに加わるように説得した。そしてブエノスアイレスでさらに三人加えた。
彼らはまず、メドゥーサ号の乗務員たちが最初に目撃した入り江で、悪魔を探し始めることにした。
 まず、海の悪魔に感づかれないように、入り江から何キロか離れた場所に錨を下ろした。そして、まるでそのために来たかのように漁をしながら、三交代で海岸の岩陰に隠れ、入り江を注意深く見張っていた。
 二週間近く、悪魔は姿を現さなかった。
 バルタザールは、捕った魚を付近のインディオの農家に安く売って、住民たちと懇意になり、様々な話をしながら海の悪魔の噂を聞き出した。それにより彼は、自分たちが正しい場所を探索していると確信した。入り江周辺のインディオたちは、角笛の音をその耳で聞き、砂の上に残された足跡をその目で見ている。話によると、そのかかとは人間によく似ているものの、指はかなり細くて長いらしい。インディオは、ヤツが砂浜に寝転がった跡さえ、ときおり目にするという。
 けれど悪魔は、沿岸の住人に危害を加えることはなかったので、彼らは時折ヤツが残す痕跡に注意を払うことを、やめてしまっていた。悪魔の姿を直接見た者は、いなかった。
 メドゥーサ号は二週間、漁をしているように見せかけていた。
 ズリタやバルタザール、雇われたインディオたちは、海から眼をはなさなかったけれど、海の悪魔は現れなかった。
 ズリタは心配になってきた。彼はせっかちでケチだった。毎日海の悪魔に待たされたあげく、雇っている連中への支払いに、金だけが消えていく。彼は疑いはじめていた。もし海の悪魔が超自然的な存在なら、どんな網でも捕まえることはできないだろう。悪魔に関われば呪われてしまう。ズリタは迷信深かった。もしそうなら、十字架と聖なる贈り物を持った司祭をメドゥーサ号に呼んでお払いをしてもらわなければならなくなる。そうすると、また出費がかさんでしまう。いや、もしかしたら海の悪魔は、人々を驚かすために悪魔に変装した、お調子者の水泳の名人かもしれない。あるいは、お調子者のイルカか? しかし動物なら飼いならして訓練することができるはずだ。いまさらこの計画を中止必要があるだろうか?
 ズリタは、最初に悪魔を見つけた者への報酬を約束して、あと数日待つことにした。そして幸運なことに、三週間目に入ると悪魔が姿を現しはじめた。
 その日の漁が終わった後、バルタザールは魚でいっぱいのボートを海岸につないでおいた。翌朝買い手が、魚を受け取りに来ることになっていた。バルタザールは、そのまま知り合いのインディオを訪ねるために農場へ出かけ、海岸へ戻ってくると、ボートは空になっていた。バルタザールはすぐに悪魔の仕業に違いないと考えた。
「本当に悪魔は、こんなにもの沢山の魚を喰うのか?」と、バルタザールは驚いた。
 同じ夜、見張りは入り江の南から聞こえてくる角笛の音に気がついた。その二日後の早朝、見張りの若者が、ついに悪魔を見つけたと報告した。
ヤツはイルカと共にやって来た。悪魔はイルカにまたがることなく、イルカと一緒に泳ぎ、イルカに取り付けた馬具(幅の広い革の首輪)を掴んでいた。
 入り江の中で悪魔はイルカの首輪を外し、イルカをなでると、入り江の奥の切り立った崖の下に姿を消した。イルカは海面を泳いでいなくなった。
 ズリタは見張りの話を聞くと、礼をいい、報酬を約束し、こう言った。
「悪魔は、昼間はほとんど隠れ家から出てこないようだ。だから、入り江の底を見てこなきゃならん。誰がやる?」
しかし、わけのわからない怪物と出くわす危険を冒してまで、海の底に潜ろうとする者は、いなかった。
「俺がやる!」バルタザールが前に出て、ただこう言った。
 錨を降ろしたメドゥーサ号に見張りを残して、全員が上陸し、入り江のそばの険しい崖に向かった。バルタザールは何かあったら引っ張り上げられるように自分の体にロープを巻き、ナイフを手にすると、足の間には石をはさんで海底に潜っていった。
 アラウカンたちは、入り江の青みがかった海底でちらつく影を見つめながら、彼が戻ってくるのを、待っていた。四十秒、五十秒、一分たってもバルタザールは、戻ってこない。ついにロープが引っ張られ、彼はロープで引き上げられた。バルタザールは、息をきらしながら、こう言った。
「陸の方に続いている狭いトンネルがあったよ。まるサメの腹の中のように真っ暗で、壁が滑らかだった。海の悪魔が隠れるとしたら、ここに違いないね」
「そいつはすごい!」と、ズリタは叫んだ。「そんなに暗いなら、好都合だ! 網を仕掛けるのにちょうどいい! 魚がかかるぞ」
 日没後、すぐにインディオたちは、丈夫なロープで金網を水中の洞窟の入り口に仕掛けた。バルタザールはロープに鐘をむすび、網にちょっとでも何か掛かれば鳴るようにした。
 ズリタとバルタザールと五人のアラウカンたちは、海岸に座ってじっと待った。
 帆船には、誰も残らなかった。
 あっというまに真っ暗になった。
 月が昇り、月明かりが海に映った。
 静かだった。異常な胸騒ぎが、全てを包んだ。多分、今夜彼らは、真珠採りと漁師たちを恐れさせた、その正体を目にできるかもしれないのだ。
 夜の時はゆっくりと流れていく。みな、いつしか居眠りを初めていた。
 突如、鐘が鳴った。みな飛び起きてロープを掴み、網を上げ始める。重かった。ロープが震えている。誰かが網の中で、暴れているのだ。
 網が海面に現れた。月明かりの中で、半人半獣の怪物が暴れていた。月の青白い光りを反射して、巨大な目と銀色の鱗が輝いていた。悪魔は網に絡まった手を引き抜こうと、じたばたしていた。そしてついに手を引き抜くと、腰の細いベルトからナイフを抜いて、網を切り始めた。
「このいたずら者め、そいつは切れんぞ!」
 バルタザールが、獲物から目を離すことなく、静かに言った。
 しかし、驚いたことに、ナイフは金網を切り開き始めた。悪魔は器用にその穴を広げ、狩人たちは急いで網を引き上げる。
「もっと力を入れろ! それそれ!」バルタザールは叫んでいた。
 しかし、獲物を捕らえたと思った瞬間、悪魔は切り裂いた穴を抜けて海に落ち、水しぶきを上げて、深みへと姿を消した。
 狩人たちはがっかりして、網を落とす。
「なんてナイフだ! 金網を切りやがった!」バルタザールが、感心した。「水の中の鍛冶屋は、俺たちの鍛冶屋より、腕がいいらしい」
 ズリタは頭を下げ、全財産が沈んだかのように、海を覗き込んだ。
 それから顔をあげるとフサフサした髭をかきむしり、足を踏み鳴らした。
「まだだ、まだだ、まだだ!」と、彼は叫んだ。「あきらめるぐらいなら、水中洞窟で死んだ方がましだ。金は惜しまん。潜水夫を雇い、入り江に網と罠を張り巡らせ、お前を絶対に捕まえてやる!」
 彼は勇敢で、頑固で、執念深かった。ペドロ・ズリタの中には、先祖から伝わるスペイン人の、征服者の血が流れていた。そして、戦うべきものがあった。
 海の悪魔は、超自然的な生き物でも、全能の存在でもないことがわかった。バルタザールが言うように、ヤツは骨と肉からできている。なら、ヤツを捕らえ、鎖につなぎ、ズリタのために海の底から宝物を取ってこさせることができるということだ。
 たとえ海の神ネプチューンが手にした三つ叉の矛で海の悪魔を守っているとしても、バルタザールなら必ずヤツを捕まえることだろう。

◆次へ