(C)hosoe hiromi
 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2003.10.31
2005.1.15 最終更新日

5 病気の孫娘

第五章 病気の孫娘


 太陽が、情け容赦なく照りつけていた。
 麦やトウモロコシやオート麦の畑にそった埃だらけの道を、やせ衰えた身をボロ着に包んだ老インディオが歩いている。
 彼は、日差しから守るように古い毛布に包んだ、病気の子どもを抱きかかえていた。
 半ば目を閉じた子どもの首には、巨大な腫瘍が取りついている。
 時おり老人がつまづくと、子どもはしわがれ声でうめき、わずかに瞼を開く。
 老人は立ち止まり、子どもにやさしく息を吹きかけた。
「どうかたどり着くまでは、生きていますように!」
 そして再び、急ぎ足で歩き出す。
 鉄の扉に到着すると、子どもを左手に抱いて、鉄の扉を四度叩いた。
 のぞき窓が少しだけ開き、誰かの目が覗く。
 掛け金がきしむ音がして扉が開いた。
 老インディオは、恐る恐る中に入る。
 そこには白衣を着た、縮れた白髪の、年老いた黒人が立っている。
「病気の子どもを診て欲しいんです……」 
 黒人は無言でうなずき、扉を閉ざして、ついてこいと身振りで示した。
 老インディオは、あたりを見回す。そこは、石畳に舗装された、小さな裁判所のような場所だった。そして壁の内側にもさらに壁がある。この裁判所は、二つ目の壁によって、さらに内側から隔てられている。
 壁と壁の間には、青々と草が茂っている。すみには大きな窓のある白い建物もある。
 地面にインディオたちが、男と、女と、たくさんの子どもたちが座り込んでいた。
 子どもたちはまったく健康そうで、何人かは貝殻を使って、静かに「奇数か偶数か」遊びをしている。
 白髪の黒人は、老インディオに、子どもたちの後ろで静かに待つようにと言った。
 老インディオは家の影にそっとすわり、子どもを降ろして覗き込んだ。
 近くに座っていた、足の張れたインディオの老女が、一緒に子どもを覗き込む。
「娘さんかい?」
「孫娘でさ」
 老女はうなずいた。
「あんたの孫娘は、沼地の精に取りつかれたんだ。でも先生は、邪悪な精よりもずっと強い。沼地の精を追い払われ、あんたの孫娘はきっと元気になるよ」
 老インディオは、黙ってうなずいた。
 患者を見回っていた黒人にまねかれた。老インディオと子どもは石畳の広場から、大きな部屋に入る。
 そこは白いシーツで覆われた、狭くて長いテーブルのある部屋だった。
 奥にある曇りガラスの扉を開け、陰気な顔つきのサルバトール博士がやってきた。背が高く、肩幅が広く、白衣を着ている。黒い眉毛と睫毛のほかは、サルバトール博士の頭には髭一本なかった。見たところ、日焼けした頭は、絶えず剃られているようだ。厳しい鋭い顎と薄い唇の中で、カラスのような大きな鼻が目立っている。
 冷静なはしばみ色の目に見られるうちに、老インディオは、まるで自分が自分でなくなっていくような感じがした。彼はゆっくりと腰を曲げて、博士に挨拶をした。
 サルバトール博士は、自身に満ちた手で、素早く、そして注意深く、老インディオの手から病気の女の子を抱き上げると、子どもを包んでいたボロきれを、部屋の隅の箱に放り込んだ。
 それを老インディオが拾おうとすると、サルバトール博士はきっぱりと制止した。
「離れなさい。触ってはいかん!」
 そしてテーブルの上に女の子を置くと、その上に覆い被さった。
 老インディオは、その横顔を見て、コンドルが小鳥を襲っているようだと思った。
 サルバトール博士は、指先で子どもの喉の腫瘍を調べ始めた。
 この指は、またも老インディオを驚かせた。
 指は長くて、異様に思えるほど、よく動いた。その関節は、まるで上下左右自在に曲げられているかのようだった。
 老インディオは、恐れる気持ちを抑えつけた。
「こいつは見事だな」
 サルバトール博士は、まるで賞賛するように、腫瘍に触っている。
 診察が終わると、サルバトール博士は老インディオに顔を向けた。
「今日は新月だ。次の新月は、元気になったこの子を返そう」
 そして子どもを患者用の担架に乗せると、ガラスの扉の向こうへと連れていった。
 黒人が次の患者、足を患った老女を部屋に案内して来た。
 老インディオは、すでに閉じられた曇りガラスの向こうにいるはずのサルバトール博士に、深々と頭を下げて帰っていった。

 きっかり二十八日が過ぎ、老インディオの目の前で、同じガラスの扉が開かれた。
 薔薇色の頬をした元気な女の子が、扉の向こうに立っていた。
 そして、祖父を見て怯えた素振りを見せた。
 しかし老インディオは急いで女の子の手を握り、キスをして、喉を見た。
 腫瘍は、その跡すら残っていない。ただほとんどわからない、小さな赤みがかった傷が、その痕跡をわずかに思わせるだけである。
 女の子は、その手で祖父を遠ざけようとしていた。そしてキスされ、そのチクチクとした髭に刺されると、ついに泣き出してしまった。老インディオは、抱き上げようとしていた女の子を床に降ろすしかなくなった。
 女の子の後ろから、サルバトール博士がやってきた。
 今日の博士は微笑んでいて、女の子の頭をぽんぽんと叩いて慰める。
「さぁ、お前の孫娘を連れて行きなさい。もう数時間連れてくるのが遅かったら、危なかったぞ」
 老インディオは顔をしわくちゃに歪め、唇をひきつらせた。その目は涙で覆われている。そしてもう一度無理やり女の子を抱きしめると、サルバトール博士の膝にすがりついた。
「あっしの孫娘の命のお礼に、どうかこの貧しいインディオの、命をお受けくださいやすでしょうか?」
「お前の命をか?」
 サルバトール博士は、驚いたようだった。
「あっしは年寄りですが、まだ力はございます」と、老インディオはすがりついている。「あっしはこの子を母親に……あっしの娘のところに送ってから、先生様のところにもどりやす。あっしはこの命の残りを、恩人である先生様のために使いたいのでございやす。あっしは犬のように役にたちやす。どうか断らないでくださいやし」
 サルバトール博士は、考えた。新しい使用人を雇うのは嫌だった。雇うなら黒人の方がいいと思っていた。しかし、この老人に問題はなさそうだったし、仕事は山積みで、ジムは庭を管理しきれなくなっている。このインディオは、ジムの助手にちょうどいい。
「よし。命を私にくれるという、お前の好意を受け取ろう。で、いつから来てくれるのかね?」
 老インディオは、サルバトール博士の白衣の裾にキスをしている。
「一ヶ月の四分の一が終わるまでに、ここに戻ってきます」
「名前はなんだね」
「あっしですか? クリスト。クリストーバルです」
「ではクリスト、行きなさい。私は待っているよ」
 クリストは、もう一度女の子を抱き上げた。
「さあ、一緒に行こう」
 女の子は再び泣き出して、クリストは急いで出ていった。

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