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 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2003.11.5 最終更新日
2005.1.15

8 襲撃

「バルタザール。今日のうちに来なけりゃ、お前とは縁を切って、もっとマシで信用できるヤツと組むからな」
 ズリタはそう言いながら、もじゃもじゃ髭を気短に掻き毟っている。彼は白いスーツにパマナ帽といったいでたちで、バルタザールを引き連れて、ブエノスアイレスの外れのパンパス草原にやって来た。
 バルタザールは開襟シャツに濃紺の縞ズボン。黙って道端に座り込み、乾いた土から枯れ草を毟っている。
 彼はサルバトール博士の調査に、兄のクリストを潜入させたことを、後悔し始めていた。
 クリストは、バルタザールよりも十歳年上だったが、年にもかかわらず元気で、起用で、パンパスの猫のように抜け目がない。しかも、まるで信用できない。
 以前彼は畑仕事をしていたが、すぐにそれに退屈し放り出してしまった。そして手に持つペポカボチャをワインに換え、港で酒場を始めたものの、まるでうまくいかず、最近はずる賢く、詐欺まがいのことばかりやっている。
 スパイにはもってこいだが、自分の利益のためなら兄弟でも裏切りかねず、信用することなどかなわない。それをよく知っているからこそ、バルタザールはズリタ以上に心配しており、無言で肩をすくめて見せることしかできなかった。
「クリストは、お前が飛ばした風船を見たと思うか?」
 バルタザールは投げやりに腕を振って見せた。正直いって、この計画を放り出し、家に帰って冷たい水で割ったワインで喉を潤し、眠りたかった。
 小山の向こうに日が落ちかけて、舞い上がった塵を照らし出した時、長い口笛の音がした。
 バルタザールが顔を上げる。
「やっと来たか!」
「長いこと待たせやがって!」と、ズリタは不満そうだ。
 クリストは、すたすたと歩いてやって来た。そこには痩せ衰えたインディオの老人の面影は、まるでない。そしてもう一度口笛を吹くと、バルタザールとズリタのところにやってきた。
「どうだ。海の悪魔はいたか?」待ちかねたズリタが、気短に聞く。
 目を細めて、クリストが冷笑した。
「まだだ。しかしサルバトールは、四番目の壁の後ろに、海の悪魔を隠しているに違いねぇ。今一番必要なのは、ワシがサルバトールの役に立つとこを見せて、もっと信頼させることだ。病気の孫娘を治してもらって、うまく取り入ったからな」
「孫娘なんて、どこで手に入れたんだ?」と、ズリタが不思議そうな顔をする。
「病気の女の子っていうのは、金よりずっと簡単に手に入るからな。ついでに元気になった女の子を家に返してやったら、母親はワシに五ペソくれたよ」
 しかしクリストは、サルバトール博士から貰った重い金貨の袋については、一言も喋らなかった。
「サルバトールの奇跡の動物園を、あらかた見てきたぜ」
 そしてクリストは、見たものについて、片っ端から二人に話した。
「そいつは興味深い話だな」と、ズリタは葉巻をふかした。「が、肝心なのは海の悪魔だ。クリスト、これからどうするつもりだ?」
「これからか? 次はアンデスに行くことになった」と、サルバトール博士が動物を捕まえに行くときに同行することになったことを、説明した。
「そいつはいい!」と、ズリタは喜んだ。「サルバトール博士が遠くまで出かけるってなら、留守を襲って海の悪魔を盗み出そう!」
 クリストは、首を振った。
「ジャガーに頭を食いちぎられて、海の悪魔を見つけるどころじゃなくなるのがオチだ」
 ズリタはしばらく考え込む。
「なら、サルバトール博士が外に出たところを待ち伏せて、身代金として海の悪魔を要求するってのはどうだ」
 クリストは、ズリタのポケットから、器用に葉巻を抜き取った。
「そりゃいい考えだ。待ち伏せの方がずっといい。が、サルバトール博士は身代金なんて払うもんか。なにしろスペイン人だからな……」
 クリストは、葉巻にむせる。
「じゃあ、どうしろってんだ」
 ズリタはいらいらしながら言った。
「あわてなさんなって、ズリタのダンナ。サルバトールは、四番目の壁の向こうを見せるほどには、ワシを信じちゃいない。ならワシをもっと信じたら、博士は自分から、ワシに海の悪魔を見せてくれるだろうさ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだ。というわけで、サルバトールは、ここにいる山賊に襲われる」といって、クリストはズリタの胸を指でついた。そして次に自分の胸を叩いた。「そして、命を助けた誠実なアラウカンとの間に、秘密なんかなくなるってもんだ」それから心の中で、(そしてワシは、褒美の金貨を貰う)と、つけ足した。
「そいつはよさそうだ」
「出発する前の晩に、ワシは壁の上に赤い石を投げておく」
 そしてクリストは、サルバトール博士を案内する道行を二人に教え、密会が終わった。

 しかし綿密に立てた計画も、たった一つの誤算で、ダメになりかけた。
 ズリタとバルタザールは、港の酒場で十人の男をかき集めて武器を持たせ、混血の野蛮なインディオの山賊らしく見せた。そして馬に乗せて、人里離れた場所で獲物を待つことにした。
 月のない夜、馬のひずめの足音が聞こえないかと、見張りは耳を澄ませていた。
 しかしクリストは、サルバトール博士が、数年前からこうして出かけることを、知らなかった。
 予期せぬエンジンの唸りがしたと思ったとたん、山賊たちの目の前を、大きな黒い黒間が、目も眩むようなヘッドライトを光らせながら、あっというまに通り過ぎていった。
 ズリタは怒ってわめき散らしたが、バルタザールは笑いだした。
「ズリタのダンナ、落ち着きなさいって。サルバトール博士が、昼の暑さを避けて出発したんなら、昼には車を止めて休みますよ。俺たちはその間に追いつけますさ」
 そしてバルタザールは、馬に拍車をかけて自動車を追い始め、他の者たちもそれに続いた。そして二時間ほど走ったとき、前方に予想外の焚き火を見つけた。
「何かあったようですな。俺が行って見て来るんで、ここで待ってなさい」
 バルタザールは馬から飛び降りると、這うようにして偵察に行き、すぐに戻ってきた。
「車が故障して、そろそろ修理が終わるところですな。クリストが見張りをしてますよ。急いだ方がいいでしょうな」
 すぐさま山賊たちが強襲した。クリストと三人の黒人を、あっというまに縛り上げ、そして表に出ることを望まなかったずり他の代わりに、山賊役の一人が博士に多額の身代金の交渉を始めた。
「四人を放せば、金を払おう」
 予想外にも、サルバトール博士はそう即答した。
「それが身のためだ。だが、あと三人分貰わないとな!」と、山賊はさらに脅した。
 サルバトール博士は慌てることなく、要求の四倍の金額を計算して見せ、そして「そんなに持っていない」と言った。
「じゃあ、死んでもらおうか! 夜明けまでに俺たちの要求を飲まなけりゃ、人質の命はないからな」
 サルバトール博士は、両手を広げて見せる。
「そんなに持ち合わせがないんだ」
 冷静な博士の様子に、強盗たちはたじろいだ。そして、人質を故障した自動車の後部に押し込むと、そこに積んであった標本用のアルコールを見つけ、それを飲んで酔っ払い、地面の上で眠りこけてしまった。
 夜明け前、誰かがあたりを警戒しながら、サルバトール博士の所へ這ってきた。
「お静かに。アッシです」クリストだった。「なんとか戒めを抜け出してきやした。銃を持ってた見張りは、やっつけやした。他の連中は、酔っ払って寝てまさぁ。運転手は車を修理いたしやした。急ぎやしょう」
 そして全員車に乗り込むと、黒人の運転手はエンジンを噴かして急発進した。
 叫び声と無闇と発砲される銃声が、後ろで上がる。
 サルバトール博士は、クリストの手をしっかりと握って感謝を示した。
 博士が行ってしまうと、ズリタは博士が身代金を支払うタイプの人物であったことについて考えた。
(こんなに簡単に身代金が取れるなら、海の悪魔を取り上げるのも簡単だったんじゃないだろうか?)。
 しかし、まずはクリストからの知らせを待つことにした。<

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