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アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2003.11.6
2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第九章   両棲人間

 クリストは、いつサルバトールがやってきて、こんなことを言わないかと待ちかまえていた。
「クリスト、お前は命の恩人だ。今や私とお前の間に秘密などあるものか。さあ、海の悪魔を見せてあげよう」
 しかしサルバトールは、そんなことをするつもりはなかった。彼は命を救ってくれたクリストに惜しみなく褒美を与えたものの、再び研究に没頭した。
 そこでクリストは、時間を無駄にすることなく、第四の壁と秘密の扉についての研究を始めた。ひどく時間がかかったが、最後には秘密をあばくことができた。
 ある日、扉に触れながら小さな出っ張りを押すと、突然扉が動いて開いたのだ。扉は、防火金庫の扉のように重く、厚かった。クリストが素早く中に入ると、扉はその後ろでバタンと閉まった。
 クリストは少しあせった。彼は扉を調べ、あたりの出っ張りを押してみたが、扉は開かなかった。
「自分から罠に飛び込んじまったぞ」と、クリストはぼやいた。
 何もできなかった。なら、サルバトールの最後の未知の庭を探索するだけだ。
 クリストは、草木が生い茂った庭にいることに、気がついた。庭は小さな窪地にあり、四方を人工的に積み上げられた岩の壁で囲まれている。波の音だけでなく、波に揉まれる小石の転がる音が聞こえて来る。
 湿地で育つ藪や木々が日の光を遮って作った暗い木陰を、いくつもの小川が流れている。
 無数の散水機が水を撒いて、まるでミシシッピー川下流のデルタ地帯のように、空気を湿らせている。
 庭の真ん中には、平らな屋根の石造りの家が建っていた。その壁は木蔦に覆われていた。窓も緑に隠されて、誰か住んでいるようには見えなかった。
 クリストは、庭の端まで行って見た。敷地と入り江を隔てる壁の近くには、木々が鬱蒼と生い茂る中に、広さは五百平方メートル、深さは五メートルはありそうな四角いプールがあった。
クリストが近づくと、一匹の生き物が驚いて藪から飛び出し、プールに飛び込んで水しぶきをあげた。クリストはプールに急ぎ、興奮しながら立ち止まった。ヤツこそ海の悪魔だ! クリストは、ついにヤツと遭遇するのだ。
 インディオは、プールの澄んだ水を覗き込む。
 プールの底の白い石版の上に、大きな猿が座っていた。猿は驚きと興味のまじった顔つきで、水中からクリストを見上げている。クリストは驚いた、猿は水中で呼吸している。胸がふくらんだりしぼんだりしているのだ。
 最初の驚きから立ち直ると、クリストは笑い始めた。漁師を脅し、恐怖をもたらした海の悪魔とは、この両棲猿だったのだ。
(こんなもんだったのか)と、老インディオはがっかりした。
 クリストは、秘密を突き止めたことに満足しつつも、失望していた。猿は、目撃者たちが話した怪物とは、似ても似つかない。怖がるあまり勝手な想像をしやがって!
 後は、どうやって戻るかだ。クリストは扉のある場所まで戻り、壁の近くの高い木に登り、足を折る危険を冒して塀の向こうに飛び降りた。
彼がやっと立ち上がった時、サルバトールの声が聞こえた。
「クリスト! どこにいる?」
 クリストは、道に転がっていた熊手を手にして、枯れ葉をかき集め始めた。
「ここでございやす」
「ちょっとついてきなさい」やってきた博士は、岩に似せた鉄の扉に近づいた。「この扉は、こうすれば開く」そしてサルバトールは、クリストがすでに知っている、ドアの出っ張りを押した。
 (何を今更。海の悪魔なら、もう見せてもらったよ)と、クリストは思った。
 サルバトールに連れられて、クリストは庭に入っていった。蔦に覆われた家を通り越し、博士は真っ直ぐプールに向かう。猿はまだ、ブクブク言いながら水の中で座っていた。
 クリストは初めて見たかのように、驚いて叫んで見せた。
 しかしこの後、彼は本当に驚かなければならなくなった。
 サルバトールは、猿に注意を払わなかった。猿が邪魔だとでもいうように、彼は手を振った。すると猿は泳いでプールから上がり、飛び出して、身体を揺らしながら木に登っていった。サルバトールはしゃがんで草むらを探り、小さな緑の板を押す。
 地響きがした。プールの底の縁でハッチが開く。水が流れ出し、数分後プールは空になった。ハッチがバタンと閉まる。
 プールの側面には鉄のはしごがあり、プールの底へと続いていた。
「来なさい、クリスト」
 彼らがプールの底に降りる。サルバトールが一枚の板を足で踏む。するとプールの真ん中に、幅一メートルほどの新しいハッチが開く。鉄の階段があり、地下へと続いている。
 クリストはサルバトールに続いて、このダンジョンへと入り込む。彼らは長い間歩いていった。ハッチから漏れ入る光だけがたよりだ。やがて暗闇に包まれた。地下通路に足音が鈍く響く。
「クリスト、もうすぐ着く。つまづかないようにな」
 サルバトールは立ち止まり、壁を手でまさぐった。スイッチの音がカチリとして、まばゆい光があたりを満たす。
 二人は鍾乳洞の中に立っていた。目の前に、青銅の扉と口に輪を咥えたライオンの取っ手がある。
 サルバトールが輪を引いた。重い扉は滑らかに開く。二人は中はさらに暗い広間に入った。
 もう一度スイッチが入った。、擦りガラスの電球が、広い洞窟を照らし出した。サルバトールが灯りを切り替えると、洞窟は暗がりに戻り、強いスポットライトがガラスの壁の向こう側を照らし出す。
 ガラスの壁は、巨大な水槽だった。いや正確には、ガラスの向こう側は海の底だった。海底には藻や珊瑚が茂り、魚たちがその間を戯れている。
 唐突にクリストは、大きな前足を持った人型の生き物が、茂みから出てくるのを見た。
 輝くメタルブルーの鱗が覆う見たこともない体。頭には大きなガラスの目がついている。
 生き物は、素早く器用にガラスの壁まで泳いでくると、サルバトールにうなずいてガラスの小部屋に入り、小部屋の扉をバタンと閉めた。するとあっというまに小部屋の水が抜けた。見知らぬ男は次の扉を開いて、洞窟のこちら側にやってきた。
「眼鏡と手袋を取りなさい」と、サルバトールは言った。
 謎の生き物が素直に眼鏡と手袋を外すと、クリストの目の前に、端整で美しい一人の青年が現れた。
「イフチアンドル。人魚、正確には両棲人間。海の悪魔とも呼ばれている」と、サルバトールが青年を紹介する。
 青年は愛想よく微笑みながら、インディオに手を差し出して、スペイン語で挨拶した。
「こんにちは!」
 クリストは、無言で手を出して握手した。驚きのあまり何も言えなかった。
「イフチアンドルの世話をしていた黒人が病気になってね」と、サルバトールは、言った。「数日間彼の世話を頼みたい。うまくやれたら、お前をイフチアンドルの担当にしよう」
 クリストは無言のままうなずいた。

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