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 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2003.11.15
2005.1.15 最終更新日

11 若い娘と浅黒い男

 雷雨の後で、海に出た時のことだ。
 海面に出ると、そう遠くないところに、漁をする帆船から吹き飛ばされた白い帆のようなものが、波間を漂っているのに気がついた。
 近づいてみて彼は驚いた。それは板切れに結びつけられた人……女性……若い娘だったのだ。
 この美しい娘は、死んでいるのだろうか?
 生まれて初めてイフチアンドルは海を憎んだ。そして、その自分の感情に動揺した。
 それとも彼女は、意識を失っているだけなのだろうか?
 力なく傾いた頭を板の上に持ち上げてやり、その板を抱えると、「すぐに助かるから!」と、運の悪い魚に対するように語りかけながら、時々板から落ちそうになる娘の頭を直してやる他は、力の限り海岸へ急いだ。
 イフチアンドルは、彼女が目覚めることを望み、同時にそれを恐れていた。
 息を吹き返して欲しいと思いつつも、彼女は自分を怖がるかもしれないと、恐れていた。
 水中眼鏡と手袋を外してしまおうか? いや、時間がない。手袋がないと、スピードが出ない。
 彼はそのまま泳ぎ続け、板と娘を海岸へと押していく。ついに磯に到着した。ここは、波に巻き込まれないよう注意しないといけない。時々足を下ろして確かめる。……よし、海底だ。
 最後に娘を板から下ろし、人工呼吸をするために、海岸の砂丘の藪の影に運ぶ。彼女の睫毛が微かに震え、まぶたが動いた。娘の胸に耳をあてると、小さく鼓動が聞こえてきた。
 生きている……。
 叫びたいほど、嬉しかった。
 娘がまぶたをわずかに開いた。そしてイフチアンドルを見た。とたんに彼女の顔は恐怖に歪み、そして再び目を閉じてしまう。
 イフチアンドルは悲しみ、そして同時に安堵した。
 助けた娘を怖がらせないためには、ここを去った方がいい。けれど意識のない娘を、こんな場所に残していっていいものだろうか?
 そう考え込んでいたとき、早く激しい足音が聞こえてきた。これ以上考えている暇はない。
 イフチアンドルは、急いで頭から波間に飛び込み、潜ったまま岩礁に向かった。そして岩陰で海面に出て、そこから海岸を覗き見る。砂丘の向こうから、鍔広の帽子を被った頬髭のある浅黒い男が現れた。
 男は、低い声でスペイン語を話した。
「神の導きに栄光あれ!」
 そして娘に駆け寄ろうとしたが、突然方向を変えると波打ち際に向かい、波を被ってびしょ濡れになってから、改めて娘の所に向かうと人工呼吸を始めた。
(もう、そんなことする必要ないのに、なぜわざわざするんだろう。)
 そして男は、娘にのしかかるようにキスをし、何事か熱心に話し掛けている。イフチアンドルにも、その言葉が切れ切れに聞こえた。
「俺が防いだんだ……。バカなことをする……。板を結んでおいて良かった……。」
 娘は頭をもたげ、目を開いた。その顔に現れた恐れは驚きに、怒りに、そして不満にと変わっていく。
 浅黒い男は、彼の仲間たちがやってきて娘を助け起こすまで、一生懸命話し掛けていた。娘はまだ体が弱っているらしく、ふらふらとすぐ砂の上に座り込んでしまい、歩けるようになるまで半時間かかった。その後で彼女は、イフチアンドルが隠れている岩の方へと歩いて来て眉をひそめ、浅黒い男を振り返った。
「それで、あなたが私を助けたって言うの? 一応感謝するわ。イエス様のお恵みがありますように!」
「俺にお恵みを与えられるのは神様じゃない。お前だ」
 娘は、その言葉を無視して言った。
「おかしいわ。私のすぐそばに、お行儀のいいおかしな怪物がいたような気がしたのに」
「確かに俺は、行儀がよくないことをしたがな。もしかすると、お前を死体だと思った悪魔が、魂を取ろうと寄って来たのかもしれん。俺が神様に祈ったから、俺と居れば悪魔なんぞ近づいて来ないさ」
 こうして美しい娘は、浅黒い男に助けられたことになったまま、娘も男も行ってしまった。
 イフチアンドルには、その嘘を暴くことはできなかった。人々の前に姿を現すには、彼の方に問題がある。
 彼は、少女とその連れたちが、砂丘の向こうに去っていくのを見送ってから、岩陰を出て海岸に向かった。
 虚しさを感じた……。
 波が、銀色の腹を見せた紺色の魚を、砂浜に打ち上げたので、イフチアンドルは隠れていた場所から走り出し、魚を海に放り込む。けれど魚は、腹を見せて浮かんでしまった。彼はそのことが、悲しさの理由になるように感じた。
 次いで砂浜の魚とヒトデを海に運んでやると、どちらも生き返ったので、少しだけ気分がよくなった。
 彼は日が暮れてしまうまで、時々エラを海で湿らせながら、不運な海の生き物たちを、延々と運び続けた。

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