(C)hosoe hiromi
 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳12 イフチアンドルの世話係

2003.11.16

第十二章 イフチアンドルの世話係

 かいがいしくイフチアンドルの世話をしたクリストを世話係に残して、サルバトール博士が山へ出かけることにしので、クリストは喜んだ。博士がいなければ、いつでもバルタザールに会うことができるからだ。
 すでにクリストは、海の悪魔を見つけたことを、バルタザールに知らせていた。あとはどうやって、イフチアンドルを盗むのかについて、相談するだけだ。
 彼は蔦に覆われた白い家に住み込んで、じっくりとイフチアンドルを観察することができただけでなく、あっというまにイフチアンドルと親しくなりさえしたのである。
 インディオの老人は、世間知らずの青年に陸の人々の生活について語り、海の青年は、海とその生き物と、海の中の平和と秘密について教えた。彼は、どんな有名な海洋学者よりも、海に詳しかった。
 イフチアンドルは、海辺のこと、大洋のこと、主な河川のことなら、なんでも知っていた。天文学、航海学、植物学、動物学についても知識があった。けれど彼は、人間についてはほとんど知らなかった。地球上に住む人々の歴史や民族については、曖昧にしか知らなかったし、国や経済については五歳の子どもよりも無知だった。
 日中暑くなってくると、イフチアンドルは小さな地下洞を使って海に泳ぎに行く。そして涼しくなってくると、白い家に戻って朝までそこにいる。雨降りや嵐の日には、日中もずっと家にいることがある。湿度が多いと、陸の上でも気分が悪くならないからだ。
 小さな白い家には、四つの部屋がある。台所の隣が、クリストの部屋。その隣の食堂は、大きな図書室を兼ねている。イフチアンドルは、スペイン語と英語を知っていた。一番大きな最後の部屋が、イフチアンドルの寝室だ。
 寝室の中にはプールがあって、ベッドは普段壁に立てかけられている。彼は時々はベッドで寝たものの、プールの中で寝る方が好きだった。
 クリストは、サルバトール博士に、週に三日はイフチアンドルをベッドで寝させるようにと、言いつけられていたので、晩になるごとにイフチアンドルの所に行き、彼がベッドで寝ると約束するまで、年取った看護婦のように、しつこく小言を繰り返した。
「でも、水の中の方が、ずっと気持ちがいいんだよ」
「坊ちゃんはベッドで寝ないといけないと、先生はおっしゃっていやす。父親の言うことってのは聞かなきゃいけやせん」
 イフチアンドルは、サルバトール博士を父親だと言っている。けれどクリストは、その親子関係を疑っていた。確かに彼の顔も手も、肌の色は白かった。しかし、これはずっと水の中にいるから、そうなったのだろう。それよりも面長の顔つき、大きくて美しい目、立派な鼻、薄い唇は、スペイン人のサルバトール博士よりも、アラウカンのクリストによく似ている。
 クリストは、イフチアンドルの本来の肌の色を、見て見たかった。未知の素材で作られた、鱗のようなスーツの下の肌の色を。
「坊ちゃんは、どうして寝る時もそれを脱がないんで?」
「これはとても良く出来てるんだよ。着心地もいいし、エラ呼吸も皮膚呼吸もできるし、いつでも確実に僕を護ってくれるんだ。サメの歯だって、どんな鋭いナイフだって、この鱗は貫くことはできないしね」
「じゃあ、水中眼鏡と手袋は、なんのためにあるんで?」
 そう尋ねながらクリストは、ベッドの傍に置かれている妙な手袋と足ヒレをいじくった。それは緑がかったゴム製で、足ヒレの指は実際より細長く作られていて、指の間には水かきがある。
「水中眼鏡は、嵐で海底の砂が巻き上げられたとき、目を痛めないように護ってくれるんだ。いつも使うわけじゃないけど、眼鏡があった方が水の中がよく見通せるしね。ないと水の中は霧の中と同じだよ。手袋と足ヒレは、早く泳ぐためさ」彼は少し笑って続けた。「僕が小さい頃、隣の庭で療養してる子どもたちと遊ぶのを、父さんがたまに許してくれたんだけど、みんなプールで泳ぐとき、手袋を使わないから、驚いたよ。『手袋なしで泳げるの?』って僕は聞いたんだけど、僕が何を聞いてるのか、まるで通じなかったんだ。それ以来、僕はみんなと一緒に泳ぐのをやめたんだ」
「今日も、入り江から外に出て泳ぐおつもりなんで?」
「もちろんさ。でも、別の水中トンネルを使うことにするよ。悪いやつらに、網で捕まえられそうになったんだ。うんと注意しなくちゃね」
「うーん……。ってことはつまり、入り江に向かう水中トンネルは、一つじゃないってことなんで?」
「あっちこっちに出るトンネルが、いくつもあるんだ。あなたが僕と一緒に、水の中を泳げないのが残念だよ! とても素敵なのに。どうしてみんな、海の中で暮らせないんだろう。一緒に海の馬に乗れたらいいのに」
「海の馬? そりゃなんなんで?」
「イルカのことさ。僕はイルカを飼いならしたんだ。嵐で海岸に打ち上げられてヒレを怪我していたから、僕が海に戻してやったんだ。大変だったよ。海の中と違って陸の上じゃイルカは重いから。あなたよりずっと重いんだよ。水中なら楽に動かせるけどね。で、海に返したけど、イルカは怪我で泳げなくなってたんだ。泳げないってことは、何も食べられないってことさ。だから僕は、丸一ヶ月、あいつに魚を食べさせたんだ。その間に飼いならした、って言うより、僕とアイツは絆で結ばれたのさ。僕たちは親友になったんだ。他のイルカたちとも知り合って、みんなで一緒に海で遊ぶんだ! 波、水しぶき、太陽、風、そして潮騒! 海の中も同じぐらい素敵なんだよ。たとえば、青くてとても濃い空気の中を泳いでいると思ってごらんよ。そこは静かで、自分の体がなくなったみたいに軽くて重い通りに動いて、息切れもしないんだ。海にはまだまだ友だちがいるよ。あなたが小鳥にあげるみたいに、僕は小さな魚たちに餌をやる。すると、魚の群れはどこまでも僕についてくるんだ」
「敵はいないんで?」
「敵? もちろんいるよ。サメとか、タコとか。でも僕は平気さ。ナイフがあるからね」
「ヤツらが盗賊のように忍び寄ったらどうするんで?」
 イフチアンドルは、この質問に驚いたようだった。
「距離があるうちに、音でわかるよ」
「坊ちゃんは、水の中でも音が聞こえるんで?」と、今度はクリストが驚いた。「敵が音を立てずに、こっそり忍び寄ってもですかい?」
「まあ、そうだね。でも、そんなに驚くようなことじゃないよ! 敵が近づいてくる時の水の振動を、耳と全身で聞くことができるから、それを感じたら警戒すればいいだけさ」
「眠っててもですかい?」
「もちろん」
「けど魚は……」
「魚は、不意を突かれて襲われるわけじゃないんだよ。単に自分よりも強い敵から身を護る方法がないだけさ。それに海の猛獣は、僕の方が強いことを知っている。だから、僕には近づいてこないのさ」
 ズリタの手下として、クリストは考えた。
(『耳と全身で聞く』とは! こりゃあ水中で捕まえるのは難儀そうだ。捕まえるなら罠を仕掛けんと。ズリタに言っとかんといかんな。)
「美しく、そして平和な海の中!」イフチアンドルは、うっとりと語り続けている。「僕は絶対に、あなたの息が詰まりそうな陸と、僕の海を、交換するなんてできないよ!」
「なんで、あっしの陸なんで? 坊ちゃんだって、陸の生まれでしょ? 坊ちゃんの母親は、誰だったんです?」
「僕は……」イフチアンドルは、言いよどんだ。「知らないんだ」
「でも、もちろん魚じゃなくて、女の人なんですよね?」
「まあ、そうだね」
 クリストは笑い出した。
「だったらあっしに、なんでイタズラするのか、教えて欲しいもんですよ。どうして網を切ったり、ボートから魚を放り出して、漁師を困らせたりするんです?」
「食べる分以上に、魚を捕まえるからさ」
「でもそれは、売るために獲ってるんですよ」
 イフチアンドルは、意味がわからないようだったので、クリストは他の人々が食べるための分を獲っているのだと、説明しなければならなかった。
「っていうことは、人はそんなに沢山いるの?」と、イフチアンドルは驚いた。「地上の鳥や動物じゃ足らないの? だから海まで来て魚を採るの?」
「これ以上は、ぱっぱと説明できるもんじゃありやせんよ」と、クリストはアクビをした。「もう寝ないと。けど、見てやすからね。プールで寝ちゃいけやせん。先生はご不満でさぁね」
 こう言ってクリストは、イフチアンドルの部屋を出ていったが、翌朝早く彼が戻ってきたときには、すでにイフチアンドルの姿はなく、そして石の床は濡れていた。
「またプールで寝たな」と、彼はブツクサ言った。「で、また海に行ったんだ」
 そしてイフチアンドルは、朝食にひどく遅れて戻ってくると、なんだかイライラした様子で、フォークでビフテキを突き刺した。
「また油で焼いた肉かぁ」
「またですとも」と、クリストは厳しく言った。「先生のお言いつけでさ。坊ちゃんはまた、海で沢山生魚をお食べになりやしたね? 坊ちゃんが炒め物をまるっきり食べないってんなら、そしてベッドで寝ずに、プールに入ってエラでばかり息をするってつもりなら、それから朝食の時間にきちんと戻ってくるつもりがないってんなら、先生が帰り次第、あっしは先生に、坊ちゃんはあっしの言うことなんか聞いちゃくれないと、言いつけなけりゃなりやせんって」
「クリスト、言わないでよ。僕は父さんに心配かけたくないんだ」
 そしてイフチアンドルは悩ましげに考え込み、突然悲しげな目でクリストを見つめた。
「クリスト、僕は少女に会ったんだ。素晴らしかった。……海の底見た何よりもね……。」
「それで、あっしの陸を悪く言ってたってわけですかい?」
「僕はイルカに乗って、ブエノスアイレスからずっと海岸を見て回ったんだ。でも彼女は僕を見て、怖がって逃げ出した。なぜ水中眼鏡と手袋をつけるかって?」彼は少し黙り込み、そして静かに続けた。「海で溺れた若い女の人を助けたんだ。そのときは、それが誰だかなんて関係なかった。ただ突然これが、それが? ただ突然こう思ったんだ。同じような金髪だったなって。そう、そうだ。思い出した……」
 彼は鏡に自分を映している。
「それから、どうしたんです?」
「僕は待ってた。でも、戻ってこなかった。クリスト、彼女はもう海岸には戻ってこないんだろうか?」
(こいつが娘っ子に惚れたんなら、調度いい)と、クリストは内心ほくそえんだ。今までも、ズリタが簡単に彼を捕まえられるブエノスアイレスに引っ張り出そうと、町の話をいろいろしたものの、説得することはできないでいた。
「娘っ子が海岸に来ないなら、坊ちゃんが探しに行けばいいんです。陸の服を着て、あっしと街に行くんです。手伝いまさぁ」
「僕が! 僕は彼女を見つけられるだろうか?」
「娘っ子は、たくさんいやすからね。海岸で見た子もいるかもしれやせん」
「今すぐ行こう!」
「今日はちょっと遅いですよ。街まで歩いていくのは、簡単なこっちゃありやせん」
「僕はイルカで行くよ。あなたは海岸から行けばいい」
「坊ちゃんは、慌てすぎてやす。明日夜が明けたら、一緒に行きやしょう。坊ちゃんは入り江を泳いで行き、あっしは服を持って坊ちゃんを待ってやす。そのためには、あっしは先に行って、服を手に入れときやす」(そして弟にも会って、いろいろと手はずを整える。そして、)「明日の夜明けに会いやしょう」

次へ