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 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳13 町

2004.04.17
2005.01.15 最終更新日

 クリストは、白いスーツを持って、入り江を泳いで海岸にやって来るイフチアンドルを待っていた。
 やってきたイフチアンドルは、スーツを見ると、まるでそれが蛇の皮で出来ているとでもいうように、ため息をついて着替え始める。けれど、服を着慣れていないことは、クリストの目にも明らかだった。
 彼は青年がネクタイを結ぶのを手伝い、そしてじっくりと見ると、満足した。
「じゃ、行きましょうや」と、クリストは陽気に言った。 
 彼はイフチアンドルを驚かせてやろうと、まずアベニーダの五月大通りへ案内した。それからヴィクトリア街の近くにあるムーア式の市庁舎や、カテドラル(大聖堂)、フエルト街から二十番街へ回り、1810年五月二十五日にスペインからラプラタが独立したことを記念する五月広場や、素晴らしい庭に囲まれた大統領官邸と、独立記念碑の『自由のオベリスク(尖塔)』の見物をした。
 けれどクリストの思惑は、外れてしまった。
 イフチアンドルは、大都市のざわめき、騒音、埃っぽさ、暑さに、参ってしまったのだ。彼は人ごみの中であの娘を探し、頻繁に「見つけた!」とクリストを引っ張ったものの、すぐに「違った、このじゃない」と、人違いに気を落すばかりだった。
 昼が近づき、暑さが絶えがたくなってくると、クリストは彼を地下にある小さなレストランに誘った。
 そこは涼しくはあったけれど、ひどく騒々しい所だった。ラフな身なりの人々が、ひどい匂いの葉巻を吸いながら、しわくちゃになった新聞を振り回しながら声を張り上げ、わけのわからない言葉で言い争っている。
 イフチアンドルは、葉巻の煙で息が詰まりそうになり、冷たい水をがぶ飲みしたけれど、食事には手もつけず、悲しげにつぶやいた。
「この人の渦の中から誰か見つけるより、海で顔見知りの小魚を見つける方が簡単だよ。あなたの街なんて大嫌いだ! ここは気持ち悪いし、すごく嫌な匂いがする。僕はわき腹が痛くてたまらない。クリスト、僕は家に帰りたい」
「その方がいいみたいですね」と、クリストは頷いた。「でも帰る前に、あっしの友だちんとこに寄りやしょう」
「僕はもう、誰にも会いたくないんだ」
「途中で、ちょっと顔を見せるだけでさ」
 支払いをすませ、クリストとイフチアンドルは、通りに出た。うなだれて、とぼとぼと歩くイフチアンドルを従えて、クリストはサボテンが植えられた庭を通り、オリーブや桃の木の下の白い家を目指す。
 クリストが案内したのは、港の一角にあるバルタザールの家だ。
 イフチアンドルは、海の湿った空気を深呼吸した。すぐさま服を脱ぎ捨てて、海に飛び込みたかった。クリストは「こっちでさ」と言いながらも、用心深く連れを見ながら道路を横切り、「ここなんで」と、薄暗い小さな店に入っていった。
 イフチアンドルは、目が薄暗がりに慣れるにしたがって驚いた。店がまるで、海底の一角のようだったからだ。棚にも床にも隙間なく大小の貝が積み上げられ、天井からは作り物の海の魚に、乾燥させたサンゴやヒトデ、そしてカニといった、面白い形の海の生き物たちが糸で吊り下げられている。
 カウンターの上に置かれているガラスのケースには、真珠採りたちが『天使の肌』と呼んでいる、ピンクの真珠が並べられている。
 イフチアンドルは、見慣れた物たちに囲まれて、いくぶん気分が落ち着いた。
「ここは静かで涼しいとこでさ。少し休んでくことにしやしょう」クリストは古い編み椅子を勧め、そして「バルタザール! グッチエーレ!」と、店の奥に声をかけた。
「クリストか? こっちだ」と、声がした。
 彼は腰をかがめて、奥にある小さな扉を中に入ると、後ろ手でしっかりと扉を閉じた。
 そこはバルタザールが、湿気で輝きを失った真珠を、薄い酸に漬けて、艶を出すための工房だ。天井の小さな窓から入る薄明かりが、バルタザールと真っ黒な古いテーブルの上にある、ガラスの小皿を照らし出していた。
「よう兄弟。グッチエーレはいないのかい?」
「隣にアイロンを借りに行った。すぐ戻るだろう」
 クリストは、急いで次の質問を付け加えた。
「ズリタはどうした」
「どっかへ飲みに行ったんだろ」と、バルタザールは文句を言った。「昨日プロポーズしたんだ。俺は薦めたのに」
「グッチエーレにか?」
「前からズリタは言い寄っててな。しかし答えはいっつも『だめ、だめ!』ばっかりで。まったく頑固で気まぐれなもんさ。どんなインディオの娘より綺麗に生まれついて、いい縁談に恵まれたことが、どんなに運がいいことなのか、カケラもわかっちゃいやしない。帆船を持ってる真珠取りの元締めだぞ」バルタザールは、ぶつぶつ言いながら、新しい真珠を酸のタンクに入れた。「おおかたズリタは、また自棄酒でも飲んでるんだろうさ。ところで、そっちはうまくいったのか?」
「そこに座っている」
 バルタザールは、好奇心に誘われるまま扉に近づいて、鍵穴から店をのぞき見る。そして静かに言った。
「いないぞ」
「カウンターの椅子に座っているはずだ……」
「いない。座ってるのはグッチエーレだ」
 バルタザールはすぐさま扉を開き、クリストと一緒に店に入った。
 イフチアンドルの姿はない。
 父親とクリストが出てきたのを見て、グッチエーレは立ち上がり、おじぎした。
「やぁ、グッチエーレ。ごきげんよう」
「若い男はどこだ?」
「お父さん。私、若い男なんて、隠してないわよ」と、グッチエーレは微笑んだ。「たぶんその人なら、私が店に戻ったとたんに飛び出していったわ。あっという間で、誰だかわからなかった。妙な顔で私をじっと見て、そして怯えたように立ち上がって、それから急に胸を押さえて店を飛び出して行ったの」
(探し人は彼女だったのか。)と、クリストはそう思った。

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