(C)hosoe
◆両棲人間もくじ >  ◆小説もくじ

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

2005.1.15
2020.06.05
2023.10 最終更新日

第十七章  不愉快な出会い

 イフチアンドルは、とても具合が悪かった。首の傷は痛んだし、熱があるようだった。空気を呼吸することが難しかった。
 けれど朝になると、調子が悪いのにもかかわらず、グッチエーレに会おうと岩場に向かった。グッチエーレは、昼頃やってきた。
 耐えられないほど暑かった。イフチアンドルは、熱い風と白い埃で息ができなかった。彼は海岸にいたかったけれど、グッチエーレは急いで町に戻らなければならなかった。
「父さんが用で出かけるから、私が店番をしなければならないのよ」
「なら送っていくよ」
 そして二人は、町に向かう埃だらけの坂道を歩いた。
 ちょうど向こうから、オルセンがやってきた。彼は俯いたまま考え事に熱中しているようで、彼女が呼び止めなかったら、グッチエーレに気づかずすれ違ったことだろう。
「ちょっと彼に話しがあるの」グッチエーレはイフチアンドルに言って、オルセンのところに行った。そして急いで小さな声で早口で話していた。彼女は彼に頼み込んでいるようだった。
 イフチアンドルは、彼らから数歩離れて歩いた。
「わかった。今日の真夜中過ぎに」とオルセンの声が聞こえた。、大男と彼女は握手してうなずき、そして急いで歩いて行った。
 グッチエーレがイフチアンドルのところに戻ってくると、彼の頬と耳が熱くなった。
「できないよ」と、イフチアンドルは息を切らして話し出した。「僕は……知りたい。オルセン……。あなたはどんな秘密を隠してるの。今夜オルセンに会うの。彼を愛しているの?」
 グッチエーレはイフチアンドルの手を取って、優しく見つめて微笑み、彼に頼んだ。
「あなたは私を信じてくれる?」
「僕は信じるよ……。だってあなたは知っているもの。僕があなたを愛していることを」
 今イフチアンドルは、愛という言葉の意味を知った。
「けれど僕は……、けれど僕にとって、それはとても難しいんだ」
 それは真実だった。イフチアンドルは、判らないことがつらかったが、同時にわき腹に刺すような痛みも感じていた。息ができなくなり、頬から血の気が引き、青ざめていた。
「あなた、とっても具合が悪そうよ」と、彼女は心配そうに言った。「少し休んだ方がいいわ。あなたは私にとって、大切な人だもの。そうね、話さないでいるつもりだったけれど、それであなたが落ち着くなら話すことにするわ。聞いてちょうだい」
 馬に乗った男が、彼らの前を駆け抜けた。けれどグッチエーレを見て向きを変え、二人のところへやってきた。モサモサと盛り上がった口髭と小さなヤギ髭のある、浅黒い肌の中年男であることを、イフチアンドルは見て取った。
 以前に見たことがある男だ。町で? いやこの海岸で。
 男はブーツに軽く鞭を当てると、イフチアンドルを睨みつけた。そしてグッチエーレに手を差し出した。そしてグッチエーレの手を掴むと、手にキスをして笑った。
「捕まえたぞ!」
 そして嫌がるグッチエーレから手を放すと、彼はからかうように、同時にイライラしながらこう言った。
「結婚式の前夜に、若い男と散歩する花嫁が、どこにいる?」
 グッチエーレは怒ったが、ズリタは何か言わせる暇を与えなかった。
「オヤジさんが、ずっと待ってるぞ。俺も一時間ぐらいで戻る」
 イフチアンドルは、話をそれ以上聞くことはできなかった。突然目の前が真っ暗になり、喉がつまって息ができなくなったように感じた。もう空気中にいることはできなかった。
「そう、あなたは……。やっぱり僕をだましたんだね……」と、真っ青な唇で言った。
 彼はもっと話したかった。彼の憤慨を言葉にするか、あるいは真実を知るために。
 けれども彼のわき腹の痛みは耐えられなくなり、意識が遠のいていく。なんとかイフチアンドルはその場を逃れ、切り立った崖から海に身を投げた。
 グッチエーレが悲鳴をあげて、身をよじる。それからペドロ・ズリタに慌てて頼む。
「早く……、彼を助けてちょうだい!」
 けれどズリタは、動かなかった。
「俺は自殺するヤツを止める習慣は持ってないんでね」
 グッチエーレが、まるで後を追って海に飛び込もうとするかのように、崖の縁に走った。
 ズリタは馬に拍車をかけ、彼女に追いつくと、肩を掴んで馬に乗せ、道を疾走した。
「俺は他人が俺を邪魔しない限り、他人の邪魔をしない主義なんだ。それが一番いい! 賢明になるんだな グッチエーレ!」
 けれどグッチエーレは、答えなかった。すでに意識を失っていたからだ。彼女が気づいたのは、父親の店に到着した時だった。
「あの若者は誰だ」と、ペドロは尋ねた。
 グッチエーレは、嫌悪を隠しもせずにズリタを睨みつけた。
「行かせて」
 ズリタは顔をしかめた。バカを言うな、と彼は思った。
「彼女のお話の主人公は海に身を投げたとさ。そりゃあ結構だ」
 そして店に行くと、ズリタは叫んだ。
「親父! バルタザール!」
 バルタザールが、走って出てきた。
「娘を連れていけ。そして俺に感謝しろ。俺は彼女を救ったんだ。彼女は見てくれの良い若い男を追って海に身を投げるところだったんだぞ。俺はお前の娘の命を二度も助けた。なのにまだ、俺を嫌がってやがる。まあ、いずれその強情も直るだろうがな」そしてやかましく笑い始めた。「俺は一時間以内に行く。約束を忘れるな!」
 バルタザールへりくだってお辞儀をすると、ズリタから娘を受け取った。
 ズリタは馬に拍車をかけて走り去っていった。
 親娘は店に入り、グッチエーレは椅子に座り込んで、顔を両手で覆った。
 バルタザールは扉を閉め、店の中を歩き回り、落ち着かない様子で熱心に話し始めたが、それを聞いている者は誰もいない。バルタザールは、棚の乾いたカニやエリマキシギに説教しているのも同然だった。
(彼は海に身を投げた)と、彼女はイフチアンドルの顔を思い出していた。(なんて不幸なの! 最初にオルセンと会って、そしてズリタが来て、私を花嫁と呼ぶなんて! でももう全てが失われてしまった……)と、グッチエーレは泣いていた。
 彼女はイフチアンドルが可哀想だと思った。素直で内気な彼を、空虚で傲慢なブエノスアイレス若者たちと、どうして比べられるだろう?
(どうしたらいいの?)と、彼女は思った。(イフチアンドルのように海に身を投げて、死んでしまおうか?)
 けれどその時、バルタザールがこう言った。
「グッチエーレ、わかってるのか? 全部なくなっちまう。この店のなにもかもがズリタの物だ。俺の物は一割もない。俺はズリタの真珠を売って商売をしてるんだ。これ以上ズリタを拒否すれば、あいつは商品をみんな引き上げて、俺との取引をやめちまう。そしたら何もない! 全部なくなっちまう! いい子だから、年取った父親を可愛そうと思うなら……」
「わかってるわ。そして彼と結婚しなさいって言うんでしょ。だめよ!」グッチエーレは、きっぱりと言った。
「くそッ!」バルタザールは激怒して、こう叫んだ。「そんならズリタは、なら……、なら……、俺じゃなくズリタ自身がどうにかするだろうよ!」
 そして年老いたインディオは、扉を乱暴に閉めて、工房に引っ込んだ。

◆次へ