(C)hosoe hiromi
 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2005.1.15 最終更新日

17 不愉快な出会い

 イフチアンドルは、自分でも病気だとわかっていた。首の傷は痛んで熱を持ち、空気を呼吸することが難しかった。けれど調子が悪いのにもかかわらず、岬でグッチエーレに会おうと午前中から海岸に向かい、昼ごろに到着した。
 その日は特別暑く、熱気が白い埃を舞い上げていたので、イフチアンドルはすぐに息苦しくなってきた。
 ところが、やってきたグッチエーレは、すぐに町へ戻ると言い出した。
 イフチアンドルは、彼女と一緒に海辺に居たがった。
「父さんが用で出かけるから、私が店番をしなければならないのよ」
「なら送っていくよ」
 そして二人は、町に向かう埃だらけの道を並んで歩き出した。
 ちょうど向こうから、オルセンがやってきた。彼は俯いたまま考え事に熱中しているようで、彼女が呼び止めなかったら、グッチエーレに気づかずすれ違ったことだろう。
「ちょっと彼に話しがあるの」
 グッチエーレはイフチアンドルに言って、オルセンのところに行った。そして急いで小声で何か話し出した。彼女は彼を説得しているようである。
 イフチアンドルは、少し離れて待っていた。
「じゃあ今晩また」とオルセンが言うと、大男と彼女は握手して頷きあい、そして急いで別れると、イフチアンドルの所に戻ってきた。彼女の頬と耳とが、上気している。
 イフチアンドルは、オルセンのことをグッチエーレに聞きたかったが、何と問えばいいのかわからなかった。
「もう息ができない」
 彼は空気を求めてあえぎはじめた。
「僕は……知りたい。オルセン……。何を隠してるの。今夜会うの。彼を愛しているの?」
 グッチエーレはイフチアンドルの手を取って、優しく見つめて微笑み、彼に頼んだ。
「あなたは私を信じてくれる?」
「信じるよ……。だってあなたは知っているもの。僕があなたを愛していることを」
 今イフチアンドルは、愛という言葉を知った。
「けれど……、けれど僕は辛いよ」
 それは真実だった。
 イフチアンドルは、判らないことが辛かったが、同時にわき腹もひどく痛かった。息ができなくなり、頬から血の気が引いていく。
「あなた、とっても具合が悪そうよ」と、彼女は不安そうに言った。「少し休んだ方がいいんじゃない? あなたは私にとって、大切な人だもの。そうね、話さないでいるつもりだったけれど、あなたが望むなら、それであなたが落ち着くなら話すことにするわ。聞いてちょうだい」
 そのとき馬を飛ばしてきた男が、急に方向を変え、若い二人のところにやってきた。
 イフチアンドルは見上げると、口ひげとあごひげのある浅黒い年上の男が、二人を見下ろしていた。以前に見たことがある男だ。町で、いやこの海岸で。
 男はピカピカのブーツに鞭を当てると、イフチアンドルを睨みつけ、そしてグッチエーレに手を伸ばして引っ張り、ニヤニヤ笑いながらその手にキスをした。
「つかまえたぞ!」
 そして嫌がるグッチエーレから手を放すと、彼は嫌味たっぷりにこう言った。
「結婚式の前日に、若い男と散歩する花嫁が、どこにいる?」グッチエーレは怒ったが、ズリタは何か言わせる暇を与えなかった。「オヤジさんが、ずっと待ってるぞ。俺も一時間ぐらいで戻る」
 イフチアンドルは、話をそれ以上聞くことはできなかった。突然目の前が真っ暗になり、喉がつまって息ができなくなった。もう空気中にいることはできない。
「そう……。あなたは結局、僕を騙したんだね……」ただそれだけ、真っ青な唇で呟いた。
 彼はもっと話したかった。彼の憤慨を言葉にするか、あるいは真実を知るために。
 けれども彼のわき腹の痛みは耐えられないほどに鋭くなり、意識が遠のいていく。なんとかイフチアンドルはその場を逃れ、岬から海へと飛び込んだ。
 グッチエーレが悲鳴をあげて、身をよじり、慌ててズリタに頼む。
「彼を早く助けてちょうだい!」
 けれどズリタは、動かなかった。
「俺は自殺するヤツを止める習慣は持ってないんでね」
 グッチエーレが、まるで後を追って海に飛び込もうとするかのように、海辺に走った。
 ズリタは馬に拍車を当てて彼女に追いつき、鞍に引っ張り上げると、駆け足で道の方へと引き返した。
「俺は他人が俺を邪魔しない限り、他人の邪魔をしない主義なんだ。それが一番いい。賢明になるんだな グッチエーレ」
 けれどグッチエーレは、答えなかった。すでに意識を失っていたからだ。彼女が気づいたのは、父親の店に到着した時だった。
「あの若者は誰だ」と、ペドロは尋ねた。
 グッチエーレは、嫌悪を隠しもせずにズリタを睨みつけた。
「私を行かせて」
 ズリタは眉をひそめた。
「バカを言うな。小説に出てくる正義の味方みたいに、いきなり海に飛び込んで助けられるとでも思っているのか? 親父! バルタザール!」
 バルタザールが、走って出てきた。
「お前の娘を受け取って、命の恩人である俺に感謝しろ。若い男と海に身投げするところだったんだぞ。俺はお前の娘の命を二度も助けた。なのに俺はまだ、こんなにも控えめだ。まあ、いずれその強情も直るだろうがな」そしてやかましく笑い始めた。「俺は一時間後に向こうに着く。それまでに説得しておけ!」
 バルタザールが娘を受け取り、卑屈なまでに深くお辞儀をすると、ズリタは馬に拍車をかけて走り去っていった。
 親娘は店に入り、グッチエーレは椅子に座り込んで、顔を手で覆った。
 バルタザールは扉を閉め、店の中を歩き回り、落ち着かない様子で話し始めたが、それを聞いている者は誰もいない。棚の乾いたカニに言い聞かせているのも同然だ。
 彼女は海に飛び込んだ可愛そうな青年のことを考えていた。
(なんて間の悪い! 最初にオルセンと会って、そしてズリタが来て、私を花嫁と呼ぶなんて、馬鹿げてるわ! でももう死んでしまった……。)
 グッチエーレはイフチアンドルのことを思って泣き続けた。
 素直で、内気で、ブエノスアイレスのでしゃばりな若者たちとは比べものにならない。
 いったいどうしたらいいのだろう。イフチアンドルを追って、海に飛び込んで、全てを終わらせてしまおうか。
 けれどその時、バルタザールがこう言った。
「グッチエーレ、わかってくれ。すべて無くなっちまう。この店のなにもかもがズリタの物だ。俺の物は一割もない。俺はズリタの真珠を売って商売をしてるんだ。これ以上話を断り続ければ、あいつは商品をみんな引き上げてしまう。そしたらお仕舞いだ! なにもかもお仕舞いだ! いい子だから、年取った父親を可愛そうと思うなら……」
「最後にこう言うんでしょ。彼と結婚しなさいって。だめよ!」
 グッチエーレは、きっぱりと言った。
「くそッ!」バルタザールは激怒して、こう叫んだ。「ならズリタは、自分でおまえとの結婚話を進めるだろうよ!」
 そして彼は扉を乱暴に閉めて、工房に引っ込んだ。

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