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 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2005.1.15 最終更新日

22 全速前進

「明日サルバトール博士が、帰ってくる。もっと早く話したかったんだが、ワシも熱を出して、しばらく出てこれなかったんだよ」
 クリストは、バルタザールの店にやって来るなり、椅子に座り込んで話し始めた。
「兄弟として、話さなきゃあならんことがある。途中で口を挟まず、よーく聞け。そうしたらワシも、忘れずに話せるってもんだからな」
 クリストは、考えをまとめるかのように黙り込み、そして続けた。
「ワシらは、ズリタのためにずいぶんと骨を折った。ヤツはワシらよりも金持ちだってのに、海の悪魔を捕まえて、もっと金持ちになろうとしている……」
 バルタザールが話しかけようとした。
「いや、黙って聞いてくれ。でないとワシは、どこから話していいのか、わからなくなっちまう。
 ズリタは海の悪魔を奴隷のように働かせるつもりだ。けれどお前だって知ってるだろう? 海の悪魔は、お宝そのもんだ。尽きることのない財産だ。海の悪魔は海の底から真珠を集めてくることができる。たくさんの素晴らしい真珠をな。それだけじゃない。海の悪魔なら、沈没船の数え切れない貴重品だって、海の底から取って来る。そいつが全部、ワシらのものだ。ズリタのもんじゃなく、ワシらのな。そういう話を、ワシはしようとしてるんだ。
 いいか、バルタザール。イフチアンドルは、グッチエーレに惚れいる」
 バルタザールは、何か言おうとしたが、クリストは言わせなかった。
「いいから黙ってよく聞け。途中で邪魔されたら話せなくなっちまう。そう、イフチアンドルはグッチエーレに惚れてるんだ。ワシがお前に、隠し事なんぞするもんか。そのことに気づいた時、ワシは思った。『こりゃあいい。イフチアンドルをグッチエーレとくっつけちまえ。ヤツはズリタよりも素晴らしい夫……お前の義理の息子になる』ってな。それにグッチエーレも、イフチアンドルが好きなんだ。ワシはこっそりイフチアンドルの後をつけていたが、あいつらはしょっちゅう会ってたぞ」
 バルタザールはため息をついたが、しかし何も言おうとしなかった。
「それだけじゃない。耳をかっぽじってさらに聞けよ。ワシは何年も前のことを、思い出そうっていうんだからな。二昔も前のことだ。
 お前の女房が、お母さんの葬式のために山の実家へ行って、その帰り道ワシが付き添った時のことだ。その帰り道、お前の女房は赤ん坊を産んで死んじまった。赤ん坊は生まれた時には死んでいた。その時ワシは、お前を悲しませたくなくって、一つだけ言わなかったことがある。それを今話そうってんだ。
 お前の女房は帰り道で死んじまったが、赤ん坊は弱っていたものの、まだ息があったんだ。小さなインディオの村だった。一人のばあさんがワシに、奇跡を起こす神サルバトールのことを教えてくれたんだ……」
 バルタザールが、耳をそばたてた。
「ばあさんはワシに、赤ん坊をサルバトール博士の所へ連れていけば、死から救ってくれるだろうと教えてくれた。ワシはその助言にすがって、博士のところへ赤ん坊を連れてった。博士はゆっくり頭を振って『この子を助けるのは、難しい』と言って、赤ん坊を連れてった。ワシはそのまま夕方まで待った。そして日が暮れる頃黒人が来て『赤ん坊は死んだ』と言ったんで、ワシはそこを出た。そう……」
 クリストは続けた。
「博士は、赤ん坊が死んだと黒人に言わせただけだ。生まれたばかりの赤ん坊、……お前の息子には、痣があった。ワシはそれがどんな痣だったのか、覚えてる」
 クリストは、しばらく黙り込んでから、先を続けた。
「つい最近、誰かがイフチアンドルの首を傷つけた。包帯をするために、ワシは鱗の服を少しばかりめくってみた。そこに、お前の息子と同じ痣を見つけたんだよ」
 バルタザールは、目を見開いてクリストを見た。そして、取り乱して尋ねた。
「お前はイフチアンドルが、俺の息子だと思うのか?」
「落ち着けバルタザール、黙って聞いてくれ。そうだ。ワシはそう思う。ワシは博士がワシに嘘をついたんだと思う。お前の息子は死ななかった。そして博士は赤ん坊を、海の悪魔にした」
「おお!」
 バルタザールは、心から叫んだ。
「なんてこった! 俺はこの手で、サルバトールを殺してやる」
「黙れってっ! 博士はお前より権力がある。それに、たぶんワシの勘違いだ。二昔も前のことだ。同じような痣が首にあるやつが、別にいたっておかしかない。イフチアンドルは、お前の息子かもしれん。息子でないかもしれん。何もかも注意深くやる必要がある。
 お前が博士に、イフチアンドルが自分の息子だと言ったとする。ワシがお前の証人になって、ヤツに息子を返せと言ったとする。返すもんか。なら、お前はヤツに、息子の体を不自由にした罪で告訴すると言うんだ。そうすればヤツは怖気づくだろう。それでうまくいかなければ、お前は裁判を起こす。けれど、ワシたちが、イフチアンドルがお前の息子だと証明することができなかったら、グッチエーレと結婚させればいい。グッチエーレが文字通り義理の娘になるぞ。グッチエーレは、あの時あんまりにも妻と息子のことを嘆くお前に、ワシが見つけてやってきた養女なんだから……」
 バルタザールが、椅子から飛び上がり、ベンチに飛び乗り、カニや貝殻にぶつかった。
「俺の息子! 俺の息子! あぁ、なんて可愛そうに!」
「なんで可愛そうなんだ」と、クリストは驚いた。
「俺は邪魔せず話しを全部聞いた。なら今度は俺の話しを聞いてくれ。お前が熱をだして来れないうちに、グッチエーレはズリタと結婚しちまったんだ」
 このニュースに、クリストは衝撃を受けた。
「しかも俺の可愛そうな息子イフチアンドルは……」バルタザールは俯いた。「ズリタに捕まっちまった!」
「そんなバカな!」
 クリストは信じられなかった。
「そうなんだ、そうなんだ。イフチアンドルは、今『メドゥーサ号』だ。今朝ズリタがここへやってきて、俺たちを嘲り笑いながら文句を言ったんだ。ヤツは俺たちがヤツを騙したと、俺たちぬきで、自分でイフチアンドルを捕まえたから、何も払うつもりはないとさ。だが俺は、もう金なんか欲しかない。自分の息子を売り渡すことなんぞできるもんか」
 頭をかかえるバルタザールを、クリストは冷静に眺めていた。今こそ冷静沈着になるべきだ。しかしバルタザールは、ひどくこの問題にうろたえてしまっている。
 クリスト自身は、バルタザールとイフチアンドルの関係を、まるで信じていなかった。生まれたばかりの赤ん坊の痣の話しは、嘘ではない。しかしそれが、何の証拠になるだろう? イフチアンドルの首の痣を見て、クリストはそれが似ていることを利用して、儲けようと思いついたにすぎない。
 しかしこの話に、こんなにもバルタザールが熱狂してしまうとは、思いもしなかった。しかもバルタザールがもたらしたニュースは、クリストを充分にうろたえさせた。
「今は嘆いている場合じゃなかろうが。行動を起こさんといかん。明朝博士は帰ってくる。お前は勇敢な男じゃないか。日の出ごろに桟橋の上で待っていろ。まずイフチアンドルを助け出さなきゃならん。しかし、まだ、お前がイフチアンドルの父親だってことを、博士に言うんじゃないぞ。ズリタがどこへ行くつもりかわかるか?」
「ヤツは言ってなかったが、俺は北に向かうと思う。ズリタはずっと前から、パナマの海岸に行きたがっていたからな」
 クリストは、頷いた。
「いいか、忘れるんじゃないぞ。明朝、日の出前、防波堤だ。まず座るんだ。気が急いたって、今から行ってどうする」
 そしてクリストは急いで帰ると、間もなく戻るはずのサルバトール博士に、どう話そうか、夜中かかって考えた。博士に対する言い訳が必要だった。
 サルバトール博士は、予定通り帰宅した。
 クリストは博士を出迎えると、いかにも忠誠を尽くせず落胆しているといった様子を演じた。
「悪いことが起きやした。あっしはイフチアンドルに、何度も海岸には行かないよう、引きとめやした」
「それでどうした」と、サルバトールが急いで尋ねた。
「ヤツらは坊ちゃんを捕まえ、そして帆船で行っちまったんです……」
 博士は、クリストの肩を強くつかみ、その目をしっかと凝視した。それは時間にして僅かではあったが、クリストはこの人を見極めるような視線に射すくめられて、顔色を変えた。
 博士は眉をひそめ、何かぶつぶつ言って、クリストを掴んだ手を緩めると、急いで言った。
「何があったのかは、後で詳しく聞こう」
 サルバトール博士は黒人を呼び、クリストにはわからない言葉で何か言うと、彼に向き直って大声で言った。
「ついてきなさい!」
 博士は旅から帰還したまま休みもせず、服も着替えず、あっというまに家を出て庭に向かった。クリストは、ついていくのがやっとだった。彼らが三番目の壁にやってきたとき、二人の黒人が追いついて来た。
「あっしは忠実な犬みたいに、坊ちゃんを見張ってたんです」と、クリストは急ぎつつ息を切らして言った。「目を離さないように、してたんです……」
 けれど博士は、聞いてはいなかった。そして池の手前で立ち止まると、イライラしたように足で何かを踏んだ。すると水門が開き、池の水が流れ出した。
「私についてきなさい」と、再び博士は命じた。そして上げ蓋の向こうの地下へ続く階段を示した。
 クリストと二人の黒人は、暗闇の中を博士について歩いた。
 博士は、男たちをひきつれて階段を駆け降り、迷いもなく地下迷宮を急いだ。最深部に下りると、サルバトールは以前来た時のようには、明かりを点けなかった。暗闇の中で手探りで右側の扉を開けると、そこにも真っ暗な通路があった。
 そこはもう階段ではなく、サルバトールは暗闇の中をさらに急いだ。
 クリストは(いきなりワシは罠に掛かり、奈落に落ちてしまうんじゃなかろうか?)と考え、あわててサルバトール博士の後を追った。
 急ぎ足でずいぶんと歩いてから、クリストは通路を下っていることに気がついた。時折かすかに波の砕ける音が聞こえてくる。
 ついに、旅は終わった。
 先を歩いていた博士が立ち止まって明かりをつけると、クリストたちは、広い場所にいることがわかった。丸天井で長い楕円形の水の入った小洞窟だ。丸天井の向こう側は、水に接している。
 彼らが立っている石の床の端の水面に、小型潜水艇があった。
 一行が乗り移り、サルバトールが船室に入り明かりをつけると、黒人の一人が上部ハッチをバタンと閉め、もう一人がモーターを動かした。
 クリストは、船が動き出したことを感じた。
 ゆっくりと旋回し、沈み、そして前方へそろそろと動き出す。
 二分以上が過ぎ、そして船は海面に浮上した。
 クリストは博士と一緒に、艦橋に出た。
 クリストは潜水艦など乗ったことはなかったが、水面を走るその様子を見たら、造船業者が腰を抜かすだろうことは、想像できた。船の構造は非凡で、モーターは巨大な力を発揮し、船は解き放たれたかのうように、水上を駈けて行く。
「イフチアンドルを誘拐した者は、どちらへ向かった?」
「海岸沿いに北に向かいやした。あっしは、あっしの弟を連れいくことを、お許しいただきたいと思いやす。あっしはそいつを、すでに海岸に待たせておりやす」
「なぜだ?」
「坊ちゃんをさらったのは、真珠採りのズリタなんで」
 博士は疑いの目でクリストを見た。
「なぜお前にそれがわかる?」
「あっしは船に詳しい弟に、坊ちゃんをさらった船のことを話したんでございやす。そしたらペドロ・ズリタのメドゥーサ号だってんです。おそらくズリタめは、真珠採りをさせようと、坊ちゃんを盗んでったに違いありやせん。あっしの弟のバルタザールは、真珠が採れる場所を、よく知っていやすから、必ずあっしらの役に立ちやす」
 博士は考えた。
「いいだろう。お前の弟を連れていこう」
 バルタザールは、桟橋の上で待っていた。
 潜水艇が海岸に近づいていく。
 バルタザールは、まだ距離がある間は、眉をひそめて息子を傷つけたサルバトール博士を睨みつけていたが、近づいてくると丁寧にサルバトールにお辞儀をしてから、泳いで潜水艇に向かい、乗り込んだ。
「全速前進!」
 博士は艦橋の船長席に立ち、しっかと広い海を見つめながら、号令をかけた。

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