(C)hosoe hiromi
 "■このごろ堂へ"はまりもの両棲人間HOME

アレクサンドル・ベリャーエフ 作
「両棲人間」

Александр Беляев
Человек-Амфибия

細江版翻訳

2005.1.15 最終更新日

27 天才的な狂人

 裁判のために拘留されても、サルバトール博士は気落ちしなかった。
 拘置所においても、常に冷静で自信を保ち、看守や専門家たちに対しても、子どもに対する大人のように、威厳のある態度で話をした。そして彼は性格的に、怠惰とは無縁であった。彼は物を書き、警察付属病院で素晴らしい手術を、こなしていった。
 警察付属病院には、ちょうどガンで死を宣告された看守の妻が入院していた。医者たちが、様々な薬餌療法を試みた後、もはや打つ手立てはないとサジを投げたのがきっかけで、サルバトール博士が呼ばれたのだ。

 裁判の日がやってきた。
 裁判所の大きなホールにさえ、傍聴を望むすべての人々を収容できず、人々は廊下や建物の前や開いた窓に群がり覗き込み、建物の近くの木には、鈴なりに野次馬たちが登っていた。
 博士は、落ち着いた様子で堂々と被告席を占めていた。そのあまりの落ち着きぶりに、知らぬ人の目には、彼こそが裁判官のように映っていた。彼は、自ら被告人であることを、拒絶したのだ。
 何百もの注目が浴びせられたが、そのまま博士を見続けることができる人は、そう多くはいなかった。
 イフチアンドルは、少なからぬ好奇心の的とはなっていたものの、彼はホールに姿を見せてはいなかった。近頃は体調が悪化して、ほとんど水槽から出ることはなく、暇をもてあました野次馬たちの目から逃れていた。
 裁判長は、この裁判においては、イフチアンドルはサルバトール博士への告訴における証人であり、重要な証拠にすぎず、イフチアンドル自身の犯罪に対する告訴は別件として後日扱う、とした。
 実の所、イフチアンドルの件に関する証拠を揃えるのは時間がかかりそうだったため、博士に速やかな有罪判決を望む司祭のために、長官がそう手はずを整えたのだ。
 司教は検察側の弁護士に、不運で哀れなイフチアンドルが天に召されることこそ主の思し召しであり、彼の死は人の手がただ神の創造の御技を損なっただけであることの、もっとも良い証明になるであろうと、ほのめかすことをやめなかった。そして弁護士は、酒場のパームで慎重かつ活発に、今後イフチアンドルが告発された時のための証人探しに、余念がない。
 大学教授からなる科学的な専門家による調査報告が始まると、聴衆たちは、ただ一言も聞き逃すまいと、真剣に耳を傾けた。
「裁判所の求めに応じ」と、年配の解剖学教授アルチューロ・シュタインが話し始めた。「裁判所に指名された専門家として、我々はサルバトール博士が彼の研究所で手術した動物とイフチアンドルを診察し、小規模ながら充分に設備の整った研究所と手術室を、調査いたしました。
 サルバトール博士の手術を、単に新しい外科技術という言葉で言い表すことはできません。電気メス、紫外線消毒といったものだけではなく、まだ外科医には知られていない道具が、並んでいました。
 私はサルバトール博士の動物実験について、長々と話すつもりはありません。ただその成果は非常に大胆で、異彩を放ち、手術は完璧であったと言えましょう。皮膚や全ての器官を移植し、二匹の動物を繋げ、一種類の呼吸器しか持たない動物を二種類の呼吸器を持った動物にし、あるいはその逆を行い、雌を雄に変え、新たな若返りの手法を編み出したのです。
 サルバトール博士の庭で、我々は数ヶ月から十四歳までの、さまざまなインディオの一族の子どもたちを発見しました」
「あなたが見つけた子どもたちは、どのような状態でしたか?」と、弁護士は尋ねた。
「子どもたちは全員健康で、元気でした。彼らは庭で楽しそうに遊んでいました。そのほとんどが、サルバトール博士にに命を救われた者たちです。インディオたちは、彼を信じて子どもたちを連れてきたのです。最も遠くはアラスカ、ファゴ諸島。エスキモー、ヤガニー、アパッチ、タウリパンジ、サナパニィ、ボトクベイ、パノ、アラウカンの子どもたちです」ホールからため息が漏れた。「サルバトールは、あらゆる一族の子どもたちの命を、助けたのです」
 検事は、教授がサルバトール博士を褒め始めたので、心配になってきた。司教との約束を果たすよう、指示されていたからだ。
「あなたはサルバトールが行った手術が、有益かつ正当であると考えるのですか?」
 しかし灰色の髪の年取った裁判長は、不機嫌そうに急いで割り込んだ。
「法廷においては、科学的な問題における、専門家の個人的な意見については考慮されません。教授、どうか話を続けてください。アラウカン族のイフチアンドルを調べて何かわかりましたか?」
「彼の体は、人工的な鱗で覆われていました。それを専門家が分析したところ、柔軟でかつ非常に丈夫な、未知の物質で作られているということが、わかりました。その分析はまだ終わっておりません。
 彼の水中眼鏡は、重いフリントガラス製の特別な眼鏡で、その屈折率はほとんど2と等しく、これは水中をよく見通すことができると思われます。
 イフチアンドルの鱗を脱がせてみると、左右の肩甲骨のあたりに、鮫のエラに似た五つの薄い膜で覆われた、直径十センチほどの穴がありました」ホールは、驚きのため息に包まれた。「そう。イフチアンドルは人の肺とサメのエラの両方があるのです。それゆえ、地上でも、そして水中でも、生きていることができるのです」
「蛙男ですか?」と、皮肉っぽく検事が尋ねた。
「はい。ある意味両棲生物で、両棲人間と言った方がいいでしょう」
「しかし、いかなる方法にてイフチアンドルはサメのエラを持ちえたのですか?」と、裁判長は尋ねた。
 専門家は、手を大きく広げて、こう答えた。
「わかりません。我々は出来るなら、サルバトール博士自身に説明していただきたいと望んでいます。
 我々の見解としては、このようなものです。ヘッケル博士によりますと、生物の個体発生は系統発生を繰り返します。つまり、それぞれの生き物は、発生の過程において地球上における進化の過程を繰り返すということです。人間がエラによって呼吸する祖先から進化したということは、疑いようがありません」
 検事は、椅子から立ち上がろうとしたが、裁判長が身振りで制止した。
「人間の胚の発生二十日目には、萌芽期の頭蓋が平行して四つ盛り上がり、いわゆる内臓弓を示します。しかし人間の胚の場合、エラは形質転換します。一つ目の内臓弓は、音を聞くための小骨とエウスタキオ管になります。それは下あごの下部にあたります。二つ目の内臓弓は、舌骨になります。三つ目は二つの過程を経て甲状軟骨になります。
 ただし我々は、サルバトール博士が、萌芽期に置けるイフチアンドルの発達に手を加えたとは、思っておりません。成人であっても下顎の首のあたりに、閉じきっていない『さい裂』があるケースが、科学的に実在することが確認されております。ただ、もちろん、エラ穴のなごりによって水中で生きることなど、できはしません。それに、胚を正常に発達させなかったとしても、二者択一になります。エラが発達し続ければ、聴覚器は発生しないのです。しかしイフチアンドルは、魚の怪物でもなければ、エラのない標準的な人間でもありません。イフチアンドルは、正常に発育した正常な聴覚を持った若者です。下顎と肺は、完全且つ正常に発達しています。しかし、その上で、完全に発育したエラを持っているのです。
 それらが相互にどう関係し、どう配置されているのか、口を通った水は肺からエラへと流れるのか、あるいは水は、小さな隙間を通ってエラを通るのか、我々には、イフチアンドルのエラを切り開き、解剖学的分析をするまでは、その質問に答えることは、できないのです。
 繰り返します、この謎については、サルバトール博士自身に説明していただくしかないのです。ジャガーに似た犬のような奇妙で異様な動物や、両棲サル。サルバトール博士には、これらをイフチアンドルに代えて解剖し、説明していただかなくてはなりません」
「あなたの結論をまとめると、どうなるのですか?」と、裁判長が尋ねた。
 シュタイン教授は、科学者として、外科医として、非常に高名ではあったが、率直に答弁した。
「私は、この問題において私が何も理解していないことを認めます。私に述べられるのは、ただこれだけです。サルバトール博士の行いは、非凡な才能の賜物であると。サルバトール博士は、明らかに完璧な外科医としての能力を持ち、思いのままに動物と人間の体を調べ、加え、改造することができます。その成果は現実に燦然と輝いております。にもかかわらず、その大胆さと考え方の経緯は、天才を紙一重上回る……狂気であると考えます」
 サルバトール博士は、微かに嘲笑った。
 教授が、彼の狂気を主張することによって、博士には責任能力がないとし、刑務所ではなく病院に収容されるように取り計らい、彼への運命を軽減しようと心に決めていたことなど、彼は知らなかった。
「私は、彼が狂人であるとは、断言いたしません」と、サルバトール博士の笑みに気づいて、教授は続けた。「ただいずれにせよ、被告は精神病患者のための療養所において、長期にわたって精神科医の診察を受けることが相応しいと、考えます」
「被告の責任を問えるかどうかについては、この裁判に含まれておりません。これはいずれ新しい提起として、法廷で論じられるべきことでしょう。
 サルバトール博士。あなたは法廷に専門家と検事が提起した若干の問題について、説明することを望みますか?」
「ええ」と、サルバトールは答えた。「説明しましょう。しかし、お話しするのは、これが最後です」

次へ